操作

「大経に…」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
7行目: 7行目:
 
{{Copyright}}
 
{{Copyright}}
 
----
 
----
「爾時聞一念」 その時聞きて一念せんに、みなまさにかしこに生ずることを得べし。
+
「聞名歓喜讃」 名を聞きて歓喜して讃ずれば、みなまさにかしこに生ずることを得べし。 ([[往生礼讃 (七祖)#no24|礼讃 P.675]])
  
「聞名歓喜讃」 名を聞きて歓喜して讃ずれば、みなまさにかしこに生ずることを得べし。
+
「爾時聞一念」 その時聞きて一念せんに、みなまさにかしこに生ずることを得べし。  ([[往生礼讃 (七祖)#P--676|礼讃 P.676]])

2018年1月10日 (水) 21:05時点における最新版

だいきょうに

 以下の二句は、『礼讃(らいさん)』(注釈版聖典P.675,P.676)に『大経』要文として引く文。(安心決定 P.1390)

 『大経』 (下) の 「往覲(おうごん)()」 に主によっている。 (礼讃 P.653)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

「聞名歓喜讃」 名を聞きて歓喜して讃ずれば、みなまさにかしこに生ずることを得べし。 (礼讃 P.675)

「爾時聞一念」 その時聞きて一念せんに、みなまさにかしこに生ずることを得べし。  (礼讃 P.676)