「藁幹喩経」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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::譬えば人ありて田を耕し稲を種(うえ)るがごとし。ただ子実を求めて藁幹を望まず。子実成熟すれば子を収穫するのみ。藁幹求めずして自然に得る。 | ::譬えば人ありて田を耕し稲を種(うえ)るがごとし。ただ子実を求めて藁幹を望まず。子実成熟すれば子を収穫するのみ。藁幹求めずして自然に得る。 | ||
米を獲ようとしたら自然に藁(現在の利益)も取れたという譬喩。昔の布教使は浄土真宗における現世利益を「米とろうと思たら藁までとれた」と往生成仏が米であり現世利益は副産物の藁であると示していた。藁をとろうとして米を作る百姓はいないのであった。 | 米を獲ようとしたら自然に藁(現在の利益)も取れたという譬喩。昔の布教使は浄土真宗における現世利益を「米とろうと思たら藁までとれた」と往生成仏が米であり現世利益は副産物の藁であると示していた。藁をとろうとして米を作る百姓はいないのであった。 | ||
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2018年4月6日 (金) 05:27時点における版
こうかんゆきょう
『蘇婆呼童子請問経』(そばこどうじ-しょうもんきょう)のこと。『藁幹喩経』という名称は同経に説かれる譬喩にもとづくもの。 (持名鈔 P.1012)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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- 譬如有人耕田種稻。唯求子實不望藁幹。子實成熟收獲子已。藁幹不求而自然得。
- 譬えば人ありて田を耕し稲を種(うえ)るがごとし。ただ子実を求めて藁幹を望まず。子実成熟すれば子を収穫するのみ。藁幹求めずして自然に得る。
米を獲ようとしたら自然に藁(現在の利益)も取れたという譬喩。昔の布教使は浄土真宗における現世利益を「米とろうと思たら藁までとれた」と往生成仏が米であり現世利益は副産物の藁であると示していた。藁をとろうとして米を作る百姓はいないのであった。