「よばうて」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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三 その称名が喚声ぢや | 三 その称名が喚声ぢや | ||
− | 「たのめ、たすくる」の<kana>喚声(よびごえ)</kana>は、日夜、我等の上にくだらせられてある。されど自力の<kana>執情(しゅうじょう)</kana>は、さまざまな<kana>妨(さまた)</kana>げをして、容易にそれが聴こえない。七三朗も若い時は、<kana>兎(と)</kana>や<kana>角(かく)</kana> 思ひ<kana>煩(わづら)</kana>つて<kana>居(い)</kana>たが、ある時、<kana>美濃路(みのぢ)</kana>で、とある同行の家に泊まった。そこに一人の[[EXC:老媼|<kana>老媼(ばあさん)</kana>]]があつて、非常にお慈悲を喜んで居る。七三朗のいふようは、「私は、どうも如来の<kana>喚声(よびごえ)</kana>が聞えませぬ。どうしたならばそれを聞こえませう」と、<kana>老媼(ばあさん)</kana>いはく、「お前は何をいふて<kana>御座(ござ)</kana>る、お前の口から出る<kana>御称名(おしょうみょう)</kana>、それが如来の<kana>喚声(よびごえ)</kana>ぢや」。 | + | :「たのめ、たすくる」の<kana>喚声(よびごえ)</kana>は、日夜、我等の上にくだらせられてある。されど自力の<kana>執情(しゅうじょう)</kana>は、さまざまな<kana>妨(さまた)</kana>げをして、容易にそれが聴こえない。七三朗も若い時は、<kana>兎(と)</kana>や<kana>角(かく)</kana> 思ひ<kana>煩(わづら)</kana>つて<kana>居(い)</kana>たが、ある時、<kana>美濃路(みのぢ)</kana>で、とある同行の家に泊まった。そこに一人の[[EXC:老媼|<kana>老媼(ばあさん)</kana>]]があつて、非常にお慈悲を喜んで居る。七三朗のいふようは、「私は、どうも如来の<kana>喚声(よびごえ)</kana>が聞えませぬ。どうしたならばそれを聞こえませう」と、<kana>老媼(ばあさん)</kana>いはく、「お前は何をいふて<kana>御座(ござ)</kana>る、お前の口から出る<kana>御称名(おしょうみょう)</kana>、それが如来の<kana>喚声(よびごえ)</kana>ぢや」。 |
− | これを聞いた七三朗、踊り上がるほどに喜んだ。 | + | :これを聞いた七三朗、踊り上がるほどに喜んだ。 |
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2020年1月11日 (土) 06:33時点における最新版
三 その称名が喚声ぢや
- 「たのめ、たすくる」の
喚声 は、日夜、我等の上にくだらせられてある。されど自力の執情 は、さまざまな妨 げをして、容易にそれが聴こえない。七三朗も若い時は、兎 や角 思ひ煩 つて居 たが、ある時、美濃路 で、とある同行の家に泊まった。そこに一人の老媼 があつて、非常にお慈悲を喜んで居る。七三朗のいふようは、「私は、どうも如来の喚声 が聞えませぬ。どうしたならばそれを聞こえませう」と、老媼 いはく、「お前は何をいふて御座 る、お前の口から出る御称名 、それが如来の喚声 ぢや」。
- これを聞いた七三朗、踊り上がるほどに喜んだ。