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「七箇条制誡」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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{{kaisetu|元久元年(1204)比叡山延暦寺の専修(せんじゅ)念仏停止(ちょうじ)の訴えに対して、法然聖人以下門弟が言行を正すことを誓って連署し、比叡山に送った七箇条からなる書状。なお執筆者は法然聖人の次に著名されている[[JDS:信空|信空]]であろうとされている。親鸞聖人は当時名乗っておられた綽空の名で署名されておられる。
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『浄土真宗聖典全書 六』補遺篇 p25~30より。なお原文は漢文であり太字で示し、読み下しや脚注は林遊が行った。}}
 
『浄土真宗聖典全書 六』補遺篇 p25~30より。なお原文は漢文であり太字で示し、読み下しや脚注は林遊が行った。}}
  

2021年10月21日 (木) 22:31時点における版

元久元年(1204)比叡山延暦寺の専修念仏停止(せんじゅ-ねんぶつ-ちょうじ)の訴えに対して、法然聖人以下門弟が言行を正すことを誓って連署し、比叡山に送った七箇条からなる書状といわれる。なお執筆者は法然聖人の次に著名されている信空であろうとされている。親鸞聖人は当時名乗っておられた綽空の名で署名されておられる。
『浄土真宗聖典全書 六』補遺篇 p25~30より。なお原文は漢文であり太字で示し、読み下しや脚注は林遊が行った。


七箇条制誡

普告号于予門人念仏上人等
あまねく予(わが)門人と号する念仏上人等に告ぐ。

一。可停止 未窺一句文。奉破真言止観。謗余仏菩薩事
いまだ一句の文も(うかが)わずして、真言・止観を破し奉り、余仏・菩薩を謗じるを停止(ちょうじ)すべき事。

右至立破道者、学生之所経也、非愚人之境界。
右、立破[1]の道に至ては学生(がくしょう)の()るところなり。愚人の境界にあらず。
加之誹謗正法 免除弥陀願。其報当堕那落。豈非痴闇之至哉
しかのみならず、正法を誹謗するは、弥陀の願[2]に免除す。この(むくい)まさに那落に堕すべし、あに痴闇のいたりに非ずや。


一。可停止 以無智身対有智人 遇別行輩、好致諍論事
無智の身をもって有智の人に対(むか)い、別行の輩に()いて、好みて諍論をいたすを停止すべき事。

右論義者、是智者之有也、更非愚人之分。又諍論之処、諸煩悩起、智者遠離之百由旬也、況於一向念仏行之人乎。
右の論義は、これ智者の有なり。さらに愚人の分には非ず。また、諍論のところには、もろもろの煩悩おこる[3]、智者これを遠離すること百由旬なり。いわんや一向念仏行の人においておや。


一。可停止 対別解別行人。以愚痴偏執心。傋当棄置本業強嫌喧之事
別解・別行の人にむかいて、愚痴偏執の心をもって、まさに本業を棄て置くべしと、あながちにこれを嫌喧するを停止すべき事。

右修道之習、只各勤敢不遮余行。西方要決云。別解別行者。総起敬心。若生軽慢。得罪無窮 云云 何背此制哉。加之善導和尚之大呵。未知祖師之誡、愚闇之弥甚也。
右、修道の習い、ただおのおの勤めて、あえて余行を遮せず。『西方要決』のいわく、別解別行者には、そうじて敬心を起こすべし。もし軽慢を生ぜば罪を得んこと窮まり無しと云々[4]。何ぞこの制に背かんや。しかのみならず善導和尚これを大呵[5]す。いまだ祖師の誡を知らず、愚闇のいよいよ甚しきなり。


一。可停止 於念仏門号無戒行、専勧婬酒食肉、適守律儀者名雑行。憑弥陀者本願者説勿恐造悪事
念仏門において戒行無しと号して、もっぱら婬・酒・食肉[6]をすすめ、たまたま律儀を守るものを雑行と名づけて、弥陀の本願を(たの)む者、造悪を恐るることなかれと説くを停止すべき事。

右戒、是仏法大地也。衆行雖区同専之、是以善導和尚挙目不見女人。此行状之趣過本律制、浄業之類。不順之者、総失如来之遺教。別背祖師之旧跡。旁無拠者歟
右、戒はこれ仏法の大地なり。衆行まちまちなりといえども同じくこれを専らにす。これをもって善導和尚目をあげて女人を見ず。この行状のおもむき本律の制、浄業の類にも過ぎたり。これに順ぜずは総じて如来の遺教を失し、別しては祖師の旧跡に背けり。旁(かたがた)、よるところ無き者か。


一。可停止 未弁是非痴人、離聖教非師説。恐述私義妄企諍論。被咲智者迷乱愚人事
いまだ是非をわきまえざる痴人、聖教を離れ師説にあらずして、恐くは私義を述べ、みだりに諍論を企て知者に(わら)われ、愚人を迷乱するを停止すべき事。

右無智大天、此朝再誕、猥述邪義。既同九十五種異道。尤可悲之
右、無知の大天[7]、この朝に再誕してみだりに邪義を述ぶ。すでに九十五種の異道に同じ。もっともこれを悲しむべし。


一。可停止 以痴鈍身殊好唱導。不知正法説種種邪法、教化無智道俗事
痴鈍の身をもって、ことに唱導[8]を好み、正法を知らずして種種の邪法を説き、無知の道俗を教化するを停止すべき事。

右無解作師、是梵網之制戒也。黒闇之類欲顕己才、以浄土教爲芸能、貪名利望檀越。恣成自由之妄説狂惑世間人、誑法之過殊重、是寧非国賊乎
右、解(げ:さとり)なくして師となるは、これ『梵網』の制戒なり[9]。黒闇のたぐい己の才をあらわさんと欲し、浄土教をもって芸能となし、名利を貪し檀越を望む。ほしいままに自由の妄説をなして世間の人を狂惑せむ。誑法のとが、ことに重し、これむしろ国賊に非ずや。


一。可停止 自説非仏教邪法爲正法、偽号師範説事
自ら仏教にあらざる邪法を説いて正法となし、(いつわ)りて師範の説と号すを停止すべき事。

右各雖一人説、所積爲予一身衆悪。汚弥陀教文、揚師匠之悪名。不善之甚無過之者也
右、それぞれ一人の説なりといえども、積るところ予が一身の衆悪なり。弥陀の教文をけがし、師匠の悪名を揚(あ)ぐ。不善のはなはだしきこと、これにすぎたるは無し。


以前七箇条甄録如斯。一分学教文弟子等者、頗知旨趣。年来之間雖修念仏、随順聖教、敢不逆人心、無驚世聴。因茲于今三十箇年。無爲渉日月。
もって前の七箇条甄録かくのごとし。一分も教文を学せん弟子らは、すこぶる旨趣を知る。年来の間、念仏を修すといえども聖教に随順してあえて人心に逆らわず、世の(きこえ)を驚かすことなし。これによって今に三十箇年[10]、無爲にして日月をわたる。

而至近来、此十箇年以後、無智不善輩、時時到来。非啻失弥陀浄業、又汚穢釈迦遺法、何不加炯誡乎。
しかるに、近来に至りて、この十箇年より以後、無智不善の輩、時時到来す。 ただ弥陀の浄業を失するのみにあらず、また釈迦の遺法を汚穢す、何ぞ炯誡(けいかい)を加えざらんや。

此七箇条之内、不当之間、巨細事等多。具難註述。総如此等之無方、慎不可犯。
この七箇条の内、不当の間、巨細の事ら多し。つぶさに註述しがたし。総じてこのごときらの無方(法?)は、慎んで犯すべからず。

此上猶背制法輩者、是非予門人、魔眷属也。更不可来草菴。自今以後、各随聞及、必可被触之。
このうえなお制法に背く輩は、これ予が門人に非ず、魔の眷属なり。さらに草菴に来るべからず。 自今以後、おのおの聞きおよばむに随って、必ずこれを触れらるべし。

余人勿相伴。若不然者、是同意人也。
余人を相い伴うことなかれ。もししからざれば、これ同意の人なり。

彼過如作者、不能瞋同法恨師匠、自業自得之理、只在己心而已。是故今日催四方行人、集一室告命。
かの過をなすがごとき者は、同法を瞋り師匠を恨むことあたわざれ。自業自得のことわり、ただ己が心にあるならくのみ。このゆえに今日、四方の行人をもよおして、一室に集めて告命す。

僅雖有風聞、慥不知誰人失。拠于沙汰愁歎。送年序、非可黙止。
わずかに風聞ありといえども、たしかに誰の人の失とも知らず、沙汰によって愁歎す。年序をおくるも、もだすべくも非ずとて、

先随力及所迴禁遏之計也。仍録其趣示門葉等之状如件
先ず力の及ぶにところに随うて禁遏のはかりごとをめぐらすなり。よってその趣きを録して門葉等に示す状、くだんのごとし。

元久元年十一月七日 沙門 源空 花押

信空 感聖 尊西 証空 源智 行西 聖蓮 
見仏 導亘 導西 十人  寂西 宗慶 西緣 
親蓮 幸西 住蓮 西意 仏心 源蓮 源雲 廿 
欣蓮 生阿彌陀仏 欣西 西緣 安照 如進 
導空 昌西 導也 遵西卅 義蓮 安蓮 導源 
証阿彌陀仏 念西 行西 行首 尊浄 帰西 
行空 四十 導感 西観 覚成 禅忍 学西 
玄曜 澄西 大阿 西住 実光 五十 覚妙 
西入 円智 導衆 尊仏 蓮恵 源海 蓮恵
安西 教芳 六十 念西 安西 詣西 神円
弁西 空仁 示蓮 念生 尊忍 参西 七十
仰善 忍西 好阿彌陀仏 鏡西 昌西 惟西 
好西 禅寂 戒心 了西

同八日追加人々

僧尊蓮 八十 僧仙雲 僧顕願 僧仏直 僧西尊 
僧良信 僧綽空 僧善蓮 蓮生 度阿彌陀仏 
阿日 九十 静西 成願 自阿彌陀仏 覚信 
念空 正蓮 向西 親西 実蓮 観然 百人
蓮智 実念 長西 信西 寂明 行西 恵忍 
円空 観阿彌陀仏 蓮慶 百十人 浄阿彌陀仏 
観尊 具慶 蓮慶 蓮仏 進西 正念 持乗
覚弁 蓮定 百二十人 導匠 深心 往西 観尊 
一円 実蓮 白毫 正観 有西 上信百卅人 
定阿彌陀仏 念仏 観阿彌陀仏 蓮仁 蓮西 
徳阿彌陀仏 自阿彌陀仏 持阿彌陀仏 西仏 
空阿彌陀仏 百四十人

九日 

覚勝 西仏 慶俊 信西 進西 源也 雲西 
実念 心光 西源 百五十人 応念 惟阿 源西 
行願 信恵 忍西 寂困 安西 仏心 心蓮
百六十人 観源 聖西 蓮寂 智円 参西 永尊 
空寂 願蓮 証西 西念 百七十人 戒蓮 専念
法阿彌陀仏 西阿 西法 西念 西忍 幸酉 
成蓮 実念 百八十人 西教(花押) 僧慶宴
沙門感喜 有実 浄心 立西 唯阿彌陀仏
行西 向西

七箇条の御起請文


現代語訳

「七箇条制誠」

すべての、私の門人と自ら名乗り、念仏をとなえ人びとに勧めている上人たちに申しあげる。

一、いまだ一句として、真言宗や天台宗の師について、その教えを学び修することもせずに、その教えは誤っているとしてうち破り、阿弥陀仏以外の仏や菩薩をそしるのはやめるべき事。

 このことについていえば、自らの立場を主張し批判するのは、長年にわたり学問にたずさわってきた人のなすことで、愚かな人の考えでなすべきことではない。そればかりか、『無量寿経』の第十八念仏往生願にも「仏の教法をそしるような悪罪を犯した者はこの限りではない」と記し、往生の対象から除かれている。そしった人は、その報いとして、地獄におちてしまうであろう。どうして、それを承知で愚かなことをするのであろうか。そのようなことをしてはならない。

一、知識のない人が、知識を十分具えている人に対し、しかも念仏以外のつとめをしている人に会い、その優劣につき争い論ずるようなことはやめるべき事。

 このことについていえば、仏教の内容について議論することは、知識を十分に具えている人のすることで、愚かな者のすべきことではない。他人の過失についてとやかく論ずるにあたっては、悪い心がはたらくものであるから、知識を十分具えている人は、できるだけ遠ざけたいと考えている。ましてや、ひたすら念仏のみを修している愚かな人は、そのようなことをすべきではない。

一、見解を別にし、行法を異にしている聖道門の人に対し、物事をわきまえず、かたよった考えをもち、聖道門のような教えはやめてしまえなどと、むやみやたらに嫌ったり、あざけり笑うようなことはやめるべき事。

 このことについていえば、仏道を修するにあたっては、自分の修行のための行ないのみを、それぞれつとめ、しいて他の人たちのつとめている修行について、異議を申したてるようなことがあってはならない。窺基は『西方要決釈疑通規』に「見解を異にし、行法を異にしている者には、できる限り敬う心をおこすようにせよ。もし、あなどるようなことかあれば、それによって得た罪は長く消えることはないであろう」と、申されている。どうして、この戒めに背くことかできようか、できはしない。そればかりか、善導和尚もそのようなことがあってはならない、と戒めている。祖師たちの戒めていることをないがしろにするようなことは、愚かで、ものの道理にくらい人といわざるを得ない。

一、念仏門では、戒めを守り修行する必要はないなどといい、みだらなことをしたり、酒を飲み、肉を食べることを勧め、かえって戒律を厳しく守っている人がいると、さまざまなつとめをしている人であると決めつけ、阿弥陀仏のご本願をたのみ浄土に往生したいと思うものは、悪をつくることを恐れてはならないと説いているが、そのように説くことはやめるべき事。

 このことについていえば、戒律は仏の教えをはぐくみ育てた基盤であり、たとえ多くの修行法があり、その方法はまちまちであるとしても、誰でもが守らなければならないのは戒律である。それ故に、戒律をたもった善導和尚は、目をあげて女性を見たことはなかったという。和尚の身のふるまいは、戒律に記されていることを守ったからであるが、浄土に往生したいと願っている人は、和尚のようにしなければ、釈尊の教えに違い、また祖師のたどってきたみ跡にそむいてしまう。いずれにしても、戒めを守り修行する必要がないというのは、何も証拠があるわけではない。

一、まだ十分にもののよしあしを承知していない愚かな人は、仏の説かれた教典をないがしろにし、師の教えを正しく受けとらず、自分の思う通りにふるまい、自分が意見を述べることもあれば、分をこえて仏教の内容について議論をしたいと考えている。そのため智慧ある人からは笑いものになっている。そればかりか愚かな人たちを迷わせ、その心を乱してしまうことになるので、やめるべき事。

 このことについていえば、それはちょうど智慧のないインドの大天が、日本に生まれ変わりむやみやたらに誤った見解を述べているようなものである。誤ったことを説くのはインドの九十五種の異なった考えと少しもかわらない。本当に悲しいことである。

一、考えのにぶく愚かな者が、ことさら教えを説くことを好んでいるものの、その実体は正しい仏の教えを知らないで、さまざまなよこしまな教えを説いている。このような人があえて智慧のない人たちを教え導くというがごときことを、やめるべき事。

 このことについていえば、悟りを得ることなしに、人の師となることは『梵網経』で禁じられている。正しい行ないをしていない人が、自分の才能を人に示そうとして、浄土に往生する教えを芸能に托し、名誉や利益をむさぼったり、檀越になろうとして、自分の思い通りにふるまい、自由に誤った考えを述べ、世の中の人をたぶらかしまどわしている。.人をたぶらかす教えを考え、それを説く罪は極めて重く、国の秩序を乱す人にもあたいするといえよう。

一、釈尊の説いた教えとは、まったく違ったよこしまな教えを説き、これこそ正しい教えであり、師の説であると、いつわって説くことはやめるべき事。

  このことについていえば、これらそれぞれの説をとなえる人は、たとえ一人であるといっても、つもりつもれば私が多くの罪を犯したことになる。ひいては阿弥陀仏の教えを書いた文章を汚し、師匠の悪名を世の入にさらすことになる。善くないといっても、これ以上のことはないであろう。

 世に問題となっているところについて、順序をたてて述べると、前に述べたように七か条になる。少しでも仏の教えを学んだ弟子たちは、私の心中の思いを知ってほしい。私は長いあいだ、念仏を修してきたけれど、それは釈尊の説かれた教えに従ったまでのことで、人びとの心にさからったことを申したことはない。したがって、世の人たちの耳を驚かしたこともない。このようにして教えを説いてから、今に至るまで三十年、何事もなく月日をすごしてきた。

 しかるに、近ごろになり、それも十年この方、知識のない善くない人たちが、時々現れてくるようになった。阿弥陀仏の説かれた浄土への往生について批判するばかりか、釈尊の教えをきずつけ汚したりしている。どうして、こうしたことを知りながら、明らかに戒めを加えないはずがあろうか、戒めを加えなければならない。

 この七箇条について、道理にはずれた大小となくなされたくわしいことの内容の一々は多く述べることができない。ただこのような法にはずれたことは、つつしんで犯さないようにしてもらいたい。今後、このような法にそむく人がいたとすれば、その人は私の門人ではなく、魔王のとりまきの者であろう。また、私の草庵に来てはならない。これからのち、各人が違法の人のことを聞いたならば、必ず知らせてほしい。また、このような人と付きあわないように、心がけてほしい。もし、そうでないとすると、同意の人と見なされても致し方ないであろう。

この人たちの過ちが、現になされているようなものであるとすれば、同法をいかったり、師匠をうらんだりしてはいけない。すべて自らつくった善悪の業によって、自分の身にその報いを受けるという道理の通りであり、根本の原因はおのれの心にあるのだ。

 この故に、今日は各地に居住しておられる専修念仏者を一室に集め、私の考えを告げることにする。制法に背く人については、これまでは僅かに風のたよりにある程度で、たしかにそれは誰がいったものか知らないし、うわさぐらいに考え、うれい嘆きながらも年月をおくってきた。だが、これ以上黙ってものをいわないのはよくないので、まずは力のおよぶかぎり、禁止の企てをめぐらすことにした。どのような理由で禁止するのかということを書き記し、門弟たちに示したのが、この書状である。

元久元年十一月七日

沙門源空(花押)」

(大橋俊雄全訳『法然全集』第三巻二八三~二八九頁)


  1. 因明では主張を立、それに対する反論を破という。
  2. 第十八願の唯除五逆誹謗正法をいう。
  3. 諍論のところには……。『歎異抄』には「かつは諍論のところにはもろもろの煩悩おこる、智者遠離すべきよしの証文候ふにこそ」とある。
  4. 『西方要決』に「別学のものには総じて敬心を起せ。おのれと同ぜざるをば、ただ深く敬ふことを知れ。もし軽慢を生ぜば、罪を得ること窮まりなし。ゆゑにすべからくすべて敬ふべし」とある。
  5. 大呵(たいか)。きびしくしかる。叱責(しっせき)する。
  6. 邪婬は十重禁戒の第三の不邪婬戒、飲酒は四十八軽戒の第二に飲酒戒、食肉はその第三の食肉戒と禁じている。
  7. 大天(Mahādeva)。インドの僧。釈尊の没後 100年頃の人。大衆部の祖。五ヵ条からなる新説を提唱し「律」の解釈で意見が対立した。それを契機にそれまで一つであった仏教徒の教団は保守派 (上座部 ) と進歩派 (大衆部) に分裂した。(コトバンク参照)。この大衆部が大乗仏教の源流ではないかといふ説がある。なお、ここでは大天を仏教破壊者として挙げる。
  8. 本来は説教のことだが、ここでは当時亡国の音、哀音といわれた和讃等を通して教えを説いたことを指すか。
  9. 無解作師戒。『梵網経』に説かれる四十八軽戒のうちの第一八戒。戒を学び誦す者は昼夜に菩薩戒を記憶し、その義理・仏性の性を理解することが求められる。しかし、菩薩が一句、一偈、戒律の因縁をよく理解しないまま、「よく理解した」と偽るならば、自分自身と他人をも欺くことになるとし、あらゆる法の一つ一つをよく理解せぬまま、しかも他人のために師となって戒を授けるならば軽垢罪に当たるとしてこれを制する。なお、ここでいう義理・仏性の性にはさまざまな解釈が施されている。➡無解作師戒
  10. この誡戒より30年前とは、法然聖人回心の年(1175)。法然聖人は静かに善導教学を味わっておられたが、文治二年(1186)の大原問答によって法然聖人の名が市井に知られるようになり、次第にその独自の法然浄土教の教説に帰依する者が増えたのであろう。