「定散二善」の版間の差分
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− | :その[[要門]]とはすなはちこの『観経』の定散二門これなり。定はすなはち<kana>慮(おもんぱか)</kana>りを<kana>息(や)</kana>めてもつて心を<kana>凝(こ)</kana>らす。散はすなはち悪を廃してもつて善を修す。([[化巻本#要弘二門|化巻引文・註 383]]) | + | :その[[要門]]とはすなはちこの『観経』の定散二門これなり。定はすなはち<kana>慮(おもんぱか)</kana>りを<kana>息(や)</kana>めてもつて心を<kana>凝(こ)</kana>らす。散はすなはち悪を廃してもつて善を修す。([[化巻本#要弘二門|化巻引文・註 383]]){{SH3|no0|その要門とは、『観無量寿経』に説かれている定善・散善で往生する教えである。定善とは、心を乱さず想いを一つに集中して浄土のすがたを観ずることであり、散善とは、想いを浄土に集中することのないまま、悪い行いをやめて善い行いをすることである。}} |
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2023年10月15日 (日) 01:07時点における最新版
じょうさん-にぜん
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
- その要門とはすなはちこの『観経』の定散二門これなり。定はすなはち
慮 りを息 めてもつて心を凝 らす。散はすなはち悪を廃してもつて善を修す。(化巻引文・註 383)「隠/顕」その要門とは、『観無量寿経』に説かれている定善・散善で往生する教えである。定善とは、心を乱さず想いを一つに集中して浄土のすがたを観ずることであり、散善とは、想いを浄土に集中することのないまま、悪い行いをやめて善い行いをすることである。
とある。