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「断常見」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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 断見と常見。断見とは、自己と世界の断滅空無とみる見解。常見とは、自己と世界を常住不変とみて執着する見解。いずれも縁起の正理に背く邪見としてしりぞけられる。([[化巻末#P--435|化巻 P.435]])
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 [[断見]]と[[常見]]。[[断見]]とは、自己と世界の断滅空無とみる見解。[[常見]]とは、自己と世界を常住不変とみて執着する見解。いずれも[[縁起]]の正理に背く[[邪見]]としてしりぞけられる。([[化巻末#P--435|化巻 P.435]])
  
 
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2023年10月25日 (水) 03:36時点における版

だん-じょう-けん

 断見常見断見とは、自己と世界の断滅空無とみる見解。常見とは、自己と世界を常住不変とみて執着する見解。いずれも縁起の正理に背く邪見としてしりぞけられる。(化巻 P.435)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

断見
常見

御開山は、断見・常見を破した龍樹菩薩を讃嘆して、
(2)

南天竺に比丘あらん
龍樹菩薩となづくべし
有無の邪見を破すべしと
世尊はかねてときたまふ (高僧 P.578)

とされていた。