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出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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じょうせん 乗専 (1295-)
 
じょうせん 乗専 (1295-)
  
覚如の門弟。<kana>毫摂寺(ごうしょうじ)</kana>の開基。丹波国の出身。もと清範といい、法華行者であったが、覚如に帰依し、その号にちなんで自坊を毫摂寺と名づけた。数多くの聖教を書写するとともに、覚如が口述した『口伝鈔』『改邪鈔』を筆記した。観応2年 (正平6・1351) に覚如が示寂すると、文和元年 (正平7・1352) に覚如の生涯をまとめた『[[最須敬重絵]]』を著した。(浄土真宗辞典)
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覚如の門弟。<kana>毫摂寺(ごうしょうじ)</kana>の開基。丹波国の出身。もと清範といい、法華行者であったが、覚如に帰依し、その号にちなんで自坊を毫摂寺と名づけた。数多くの聖教を書写するとともに、覚如が口述した『口伝鈔』『改邪鈔』を筆記した。観応2年 (正平6・1351) に覚如が示寂すると、文和元年 (正平7・1352) に覚如の生涯をまとめた『[[最須敬重絵詞]]』を著した。(浄土真宗辞典)
 
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2023年12月7日 (木) 14:23時点における版

じょうせん 乗専 (1295-)

覚如の門弟。毫摂寺(ごうしょうじ)の開基。丹波国の出身。もと清範といい、法華行者であったが、覚如に帰依し、その号にちなんで自坊を毫摂寺と名づけた。数多くの聖教を書写するとともに、覚如が口述した『口伝鈔』『改邪鈔』を筆記した。観応2年 (正平6・1351) に覚如が示寂すると、文和元年 (正平7・1352) に覚如の生涯をまとめた『最須敬重絵詞』を著した。(浄土真宗辞典)