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「帰依」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
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2024年6月27日 (木) 16:01時点における最新版

きえ

 信じ拠りどころとすること。信認して順(したが)うこと。→帰命(きみょう)。

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

死のする処、生のって立つ処。(金子大栄)

死の帰するところを浄土におく
我々をしてその不安の世の中におりながら今日一日を落着き、今日一日を不安なるがゆえに、却ってそれを介して念仏申させて貰うことによって、有り難いという感覚をおこさせるものは一体何だろうかと、そういうような場として、私には後の世というものがあるのであります。死ねばお浄土へ行けるのであると。
人間の生涯の終わりには浄土へ行けるのであり、死のするところを浄土におくことによって、それが生のるところとなって、浄土を憶う心があると、その心から光がでてきて、私達に不安の只中にありながら、そこに安住の地を与えられるのであります。つまり意識はどれほど不安を感じていても、どこかその底に安らかに安住させて頂く力があり、それが本願他力であり、それが浄土の教えであるといってよいのでありましょう。(曽我量深・金子大栄著『往生と成仏』p.171 法蔵館から)

「真巻」では『涅槃経』を引文し、

善男子、一切衆生、生死を怖畏するがゆゑに三帰を求む。(真巻 P.343)

とある。

三帰依