操作

トーク

「荘子」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

9行目: 9行目:
 
 むかし、孔子の門人の子貢がある地方に行ったとき、一人の老人が〔井戸に降りて〕かめに水をいれて畠の作物に水をやっていた。それを見た子貢が、いちいち水を汲んでいたら骨が折れてしかたがない。いまはつるべという機械ができているのだから、それを用いるがよいというと、その老人は、わたしもそのことを知らぬわけではないが、ただ恥じて使わないのだと、右のようにいったという。(『中国古典名言辞典』p.360)
 
 むかし、孔子の門人の子貢がある地方に行ったとき、一人の老人が〔井戸に降りて〕かめに水をいれて畠の作物に水をやっていた。それを見た子貢が、いちいち水を汲んでいたら骨が折れてしかたがない。いまはつるべという機械ができているのだから、それを用いるがよいというと、その老人は、わたしもそのことを知らぬわけではないが、ただ恥じて使わないのだと、右のようにいったという。(『中国古典名言辞典』p.360)
  
➡[https://www.city.midori.gunma.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/003/511/1003511_004.gif つるべ]
+
*➡[https://www.city.midori.gunma.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/003/511/1003511_004.gif つるべ]
 +
*➡[http://blog.wikidharma.org/blogs/blog/2014/07/17/%e4%ba%ba%e3%81%af%e6%98%94%e3%81%9d%e3%81%93%e3%81%ab%e7%94%9f%e3%81%8d%e3%81%a6%e3%81%84%e3%81%9f%e3%80%82/ 人は昔そこに生きていた。]

2024年9月5日 (木) 23:11時点における版

『荘子』には、

有機械者 必有機事、有機事者必有機心 
機械ある者は、必ず機事あり。機事ある者は、必ず機心あり。

とある。

 機械ができると、便利と考え、その機械を用いる仕事が起こってくる。ところが、機械はからくりであるから、このからくりに従事していると、いつとはなしにそれに振りまわされ、いわゆる機心、投機心(機械に投じる心)が起こってくる。
 つまり、機械の発達は喜ぶべきことではあるが、機械に振りまわされては、人間の心の不在を招く。

 むかし、孔子の門人の子貢がある地方に行ったとき、一人の老人が〔井戸に降りて〕かめに水をいれて畠の作物に水をやっていた。それを見た子貢が、いちいち水を汲んでいたら骨が折れてしかたがない。いまはつるべという機械ができているのだから、それを用いるがよいというと、その老人は、わたしもそのことを知らぬわけではないが、ただ恥じて使わないのだと、右のようにいったという。(『中国古典名言辞典』p.360)