「如是我聞」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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2024年10月17日 (木) 10:50時点における最新版
にょぜ-がもん
このように私は聞いたという意。 →如是 (浄土真宗辞典)
- →聴聞
◆ 参照読み込み (transclusion) JDS:如是我聞
にょぜがもん/如是我聞
「このように私は聞きました」(Ⓢevaṃ mayā śrutamⓅevaṃ me sutaṃ)の意味の、経典冒頭にある定型句。我聞如是、聞如是、我昔曽聞とも漢訳される。文法的には我聞如是が正しい訳であるが、如是我聞はインドの語順に並び替えた翻訳文学特有のもので、羅什以降に用いられるようになったと言われている。この定型句が経典の冒頭にくるのは、釈尊の涅槃の直後に行われた第一結集において、釈尊の侍者であり、多聞第一と呼ばれた阿難陀(ⓈⓅĀnanda)が自分の記憶をたどって「このように私は聞きました。ある時世尊は…」と釈尊の教えを確認したことに由来する。したがってここにいう「私」は阿難陀のことであり、この解釈にしたがって伝統的に四字一句として理解されている。しかし一方で龍樹が『大品般若経』の註釈である『大智度論』一の中で「如是我聞一時」(正蔵二五・六二下)として釈していることなどから、「一時」が説経時ではなく、聴経時として「(釈尊在世中の)ある時このように私は聞きました」という解釈もあったことが知られている。
【参考】中村元『ブッダ最後の旅』(岩波文庫、一九八〇)
【参照項目】➡六成就
【執筆者:吹田隆道】