「還相回向」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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+ | 庄松の口から出たお念仏も仏のはたらき。それを聞いて念仏相続した周りの人間の口から出た念仏も仏のはたらきであるから、還相回向というのである。 |
2013年11月9日 (土) 05:10時点における版
げんそうえこう
阿弥陀仏が本願力によって還相を回向(ふりむけ、与えること)すること。 親鸞聖人は回向の主体を阿弥陀仏とし、往生成仏の証果を開いた者が示す還相の活動は阿弥陀仏が施し与えるものであるとする。→往相回向(おうそうえこう)、補註12。
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
讃岐の妙好人庄松の言行。
「庄松よ。還相回向とはどうじゃ」と問われ、「ワシが放ったお念仏を、喜んで拾うモンが居る」と答えた。
庄松の口から出たお念仏も仏のはたらき。それを聞いて念仏相続した周りの人間の口から出た念仏も仏のはたらきであるから、還相回向というのである。