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「刪闍耶毘羅胝子」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
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(さんじゃやびらていし)
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 パーリ名サンジャヤ・ベーラッタプッタ(Sañjaya Belaţţhaputta)またはサンジャヤ・ベーラッティプッタ(Sañjaya Belaţţhiputta)の音写。六師<ruby><rb>外道</rb><rp>(</rp><rt>げどう</rt><rp>)</rp></ruby>の一人。懐疑論者で、種々の形而上学的な問題に対して、人には知る能力がないとして確定的な答えをしなかった。不可知論ともいわれる。また仏の十大弟子の+<ruby><rb>[[舎利弗]]</rb><rp>(</rp><rt>しゃりほつ</rt><rp>)</rp></ruby>、<ruby><rb>[[大目犍連]]</rb><rp>(</rp><rt>だいもくけんれん</rt><rp>)</rp></ruby>がはじめ師としていたとされる。→[[六師]]  (ろくし)。
 
 パーリ名サンジャヤ・ベーラッタプッタ(Sañjaya Belaţţhaputta)またはサンジャヤ・ベーラッティプッタ(Sañjaya Belaţţhiputta)の音写。六師<ruby><rb>外道</rb><rp>(</rp><rt>げどう</rt><rp>)</rp></ruby>の一人。懐疑論者で、種々の形而上学的な問題に対して、人には知る能力がないとして確定的な答えをしなかった。不可知論ともいわれる。また仏の十大弟子の+<ruby><rb>[[舎利弗]]</rb><rp>(</rp><rt>しゃりほつ</rt><rp>)</rp></ruby>、<ruby><rb>[[大目犍連]]</rb><rp>(</rp><rt>だいもくけんれん</rt><rp>)</rp></ruby>がはじめ師としていたとされる。→[[六師]]  (ろくし)。
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有でもなく、無でもなく、有でもなく無でもないのでもなく、有であり無であるものでもない。

2005年10月25日 (火) 22:41時点における版

さんじゃやびらていし

 パーリ名サンジャヤ・ベーラッタプッタ(Sañjaya Belaţţhaputta)またはサンジャヤ・ベーラッティプッタ(Sañjaya Belaţţhiputta)の音写。六師外道(げどう)の一人。懐疑論者で、種々の形而上学的な問題に対して、人には知る能力がないとして確定的な答えをしなかった。不可知論ともいわれる。また仏の十大弟子の+舎利弗(しゃりほつ)大目犍連(だいもくけんれん)がはじめ師としていたとされる。→六師 (ろくし)。

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

有でもなく、無でもなく、有でもなく無でもないのでもなく、有であり無であるものでもない。