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出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
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にょしん
 
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  (1235-1300)慈信房(じしんぼう)[[善鸞]](ぜんらん)の子で、[[親鸞]]聖人の孫にあたる。[[本願寺]]第二代、錦織寺(きんしょくじ)第二代、大網(おおあみ)願入寺(がんにゅうじ)の開基。祖父親鸞聖人のもとで法義を受け、のち東国を遊化して奥州(おうしゅう)白川郡大網(現在の福島県東白川郡)に到り願入寺を創立してこの地に住し、浄土真宗の法統を[[覚如]](かくにょ)上人に伝えられた。晩年、常陸(ひたち)国(現在の茨城県)金沢に移り布教されたが、正安二年(1300)六十六歳で示寂された。
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 (1235-1300)<kana>慈信房(じしんぼう)</kana><kana>[[善鸞]](ぜんらん)</kana>の子で、[[親鸞]]聖人の孫にあたる。[[本願寺]]第二代、<kana>錦織寺(きんしょくじ)</kana>第二代、<kana>大網(おおあみ)</kana><kana>願入寺(がんにゅうじ)</kana>の開基。祖父親鸞聖人のもとで法義を受け、のち東国を遊化して<kana>奥州(おうしゅう)</kana>白川郡大網(現在の福島県東白川郡)に到り願入寺を創立してこの地に住し、浄土真宗の法統を<kana>[[覚如]](かくにょ)</kana>上人に伝えられた。晩年、<kana>常陸(ひたち)</kana>国(現在の茨城県)金沢に移り布教されたが、正安二年(1300)六十六歳で示寂された。
  
 
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2017年10月19日 (木) 13:16時点における版

にょしん

 (1235-1300)慈信房(じしんぼう)善鸞(ぜんらん)の子で、親鸞聖人の孫にあたる。本願寺第二代、錦織寺(きんしょくじ)第二代、大網(おおあみ)願入寺(がんにゅうじ)の開基。祖父親鸞聖人のもとで法義を受け、のち東国を遊化して奥州(おうしゅう)白川郡大網(現在の福島県東白川郡)に到り願入寺を創立してこの地に住し、浄土真宗の法統を覚如(かくにょ)上人に伝えられた。晩年、常陸(ひたち)国(現在の茨城県)金沢に移り布教されたが、正安二年(1300)六十六歳で示寂された。

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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