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「是心作仏」の版間の差分

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ぜしんさぶつ
 
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   『観経』の当分は、観仏の心に仏が顕現することを「心が仏を作つくる」といったのであるが、親鸞聖人の引意は、如来回向の信心は仏道の正因であるから、仏に作なるという意に転じられた。([[信巻末#P--253|信巻 P.253]])
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   『観経』の当分は、観仏の心に仏が顕現することを「心が仏を<kana>作(つく)</kana>る」といったのであるが、親鸞聖人の引意は、如来回向の信心は仏道の正因であるから、仏に作なるという意に転じられた。([[信巻末#P--253|信巻 P.253]])
  
 
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2005年11月4日 (金) 16:51時点における最新版

ぜしんさぶつ

  『観経』の当分は、観仏の心に仏が顕現することを「心が仏を(つく)る」といったのであるが、親鸞聖人の引意は、如来回向の信心は仏道の正因であるから、仏に作なるという意に転じられた。(信巻 P.253)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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