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「三心料簡および御法語」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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2009年9月27日 (日) 15:19時点における版

一、三心料簡事 疏に付て第四仰せ云わく。先ず浄土には悪の雑(まじ)わる善は永く生せずとしるべし。 是を以って(玄)義分には、定即息慮以疑心、散即廃悪以修善、廻此二行求願往生。文 (定はすなはち慮りを息めてもつて心を凝らす。散はすなはち悪を廃してもつて善を修す。この二行を回して往生を求願す。 ) 又散善義に云く、上輩上行上根人、求生浄土断貪嗔。文 (上輩は上行上根の人なり。浄土に生ずることを求めて貪瞋を断ず。) 然れば則ち今此の至誠心の中の嫌う所の虚仮の行者とは余の善諸行也。 三業の精進を勧むと雖も、内に貪嗔邪偽等の血毒雑(まじ)わる故に名づけて雑毒の善雑毒之行と名づく、往生不可と云う也。 是を以って礼讃専雑二行得失中の雑修の失と云う。貪嗔諸見煩悩来りて間断す。 故に此等の雑行を廻して、直ちに報仏浄土へ生れんと欲うは、尤も不可と嫌う道理也。 然に身口二業を以って外と為し、意業一を以って内と為さんとは僻事也。 既に雖起三業と云う 豈意業を除かん乎。 又虚仮とは、狂惑の者と云う事僻事。 既に苦励身心と云う、又日夜十二時急走急作如炙頭然者と云う。文 云何仮名之行人如此哉、正是雑行者也。 次所選取之真実者、本願功徳即正行念仏也。