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出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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清浄業処
経の当分=衆生の清浄業に依って感得する。
善導大師の釈=諸仏の清浄業に依って感得する。
宗祖の独自の隠顕釈=阿弥陀仏の四十八願とその四十八願から出てくる智慧(清浄の業)によって感得する意。 「広台現国」の中に阿弥陀仏の浄土がある。究極的にはその阿弥陀仏の浄土を韋提は願生し、そしてその浄土を説くのがこの『観経』の中心になるから、従ってこの清浄業処というのは究極的には阿弥陀仏の清浄なる業に依って感得せられた世界という事を顕わすとみられた。