「果遂のちかひに帰してこそ」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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とある。まさに如来の本意ではないのだが「弥陀の大悲深ければ」第二十願まで建てて、化土までは迎え取るというお心である。当然、これを聞いた上からは真門自力の称名を捨てて第十八願への本願力回向の救済に帰すべきである。 | とある。まさに如来の本意ではないのだが「弥陀の大悲深ければ」第二十願まで建てて、化土までは迎え取るというお心である。当然、これを聞いた上からは真門自力の称名を捨てて第十八願への本願力回向の救済に帰すべきである。 | ||
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2012年4月24日 (火) 09:59時点における版
かすいのちかひにきしてこそ
『浄土真宗聖典全書』p371。国宝本の左訓に、
- ジリキノココロニテミヤウガウヲトナエタルオバツイニハタシトゲムトチカイタマフナリ
自力の心にて名号を称えたるをば、ついに果たし遂げむと誓いたまふなり。
とある。まさに如来の本意ではないのだが「弥陀の大悲深ければ」第二十願まで建てて、化土までは迎え取るというお心である。当然、これを聞いた上からは真門自力の称名を捨てて第十八願への本願力回向の救済に帰すべきである。 浄土和讃#no66