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「王日休がいはく…」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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2013年12月12日 (木) 10:56時点における版

おうにっきゅうがいわく…

 引用は、『龍舒浄土文』の後跋の一節で、唯心居士荊渓周葵の文。 (信巻 P.263)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

王日休


この文中の「便同彌勒」が、正定聚の初地不退説をこえて弥勒菩薩と同じ等覚であることを説明する引文。なお現在の『大正蔵』には此経 寔往生之径術 脱苦之神方の太字の部分はない。御開山の所覧本がそのようになっていたのであろう。


我聞。無量壽經。衆生聞是佛名。信心歡喜。乃至一念。願生彼國。即得往生。住不退轉。

われ『無量寿経』を聞くに、〈衆生、この仏名を聞きて信心歓喜せんこと乃至一念せんもの、かの国に生ぜんと願ずれば、すなはち往生を得、不退転に住す〉と。

不退轉者。梵語謂之阿惟越致。法華經謂 彌勒菩薩所得報地也。一念往生便同彌勒。

不退転は梵語にはこれを阿惟越致といふ。『法華経』にはいはく、〈弥勒菩薩の所得の報地なり〉と。

一念往生便同彌勒。

一念往生、便ち弥勒に同じ。

佛語不虚。此経 寔往生之径術 脱苦之神方。應皆信受

仏語虚しからず、この『経』はまことに往生の径術、脱苦の神方なり。みな信受すべし

紹興壬午閏四月七日 唯心居士荊溪周葵跋