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「教行証」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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2014年1月16日 (木) 16:50時点における版

教行証 仏教学辞典より。

① 教えと行とさとり。教行果ともいう。教とは仏が説いた教え、行とは教に従って衆生がする修行、証とは行によって得られるさとりを意味する(世親の十地経論巻三、智顗の法華玄義五下など)。
② また教は理をあらわすものであるから、あらわす教とあらわされる理を分けていえば、教理行果の四法となる(窺基(きき)の義林章巻六本)。
③ 親鸞は聖道門(この世でさとりをひらく教え)の教行証に対して浄土門(浄土へ生まれ、そこでさとりをひらく教え)の教行証[1]を示し、行とはさとりの果へ至らせる因[2]であるから衆生が修める自力の行ではなく、衆生をして信じさせ称えさせるはたらきとしての名号そのものであり、衆生はその大行を信じさせられる一念に往生が定まるから信が往生の因であるとして、行を分けて行と信の二とし[3]、教行信証の四法を立てる(教行信証)。



  1. 親鸞聖人の付けられた書名は『顕浄土真実教行証』であり、教行証の三法立てになっているので書名は「教行証」と呼ぶのが正しい。ただし内容が教行信証の四法立てになっているので「教行信証」と呼称しても間違いではない。
  2. 果報を生じる因となるから業因ともいう。業とは造作の義で行為、所作、意思による身口意の活動を意味し、浄土真宗では口業の念仏を業因とする。本願の名号は、正しく往生の決定する行業である。(本願名号正定業)
  3. 行から信を開いたので信別開という。