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「真俗二諦」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

(ページの作成:「;中論卷第四 四諦品[http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT2012/T1564_,30,0001b10.html (*)] 諸仏依二諦 為衆生説法<br> 一以世俗諦 二第一義諦<br>...」)
(相違点なし)

2017年2月26日 (日) 21:09時点における版

中論卷第四 四諦品(*)

諸仏依二諦 為衆生説法
一以世俗諦 二第一義諦
若人不能知 分別於二諦
則於深仏法 不知真実義

諸仏は二諦に依りて、衆生の為に法を説きたもう、
一には世俗諦を以って、二には第一義諦なり。
若し人、二諦を分別するを知る能わざれば、
則ち深き仏法に於ける、真実の義を知らず。

世俗諦者。一切法性空。而世間顛倒故生虚妄法。於世間是実。

世俗諦とは、一切の法性は空なるも、世間は顛倒の故に、虚妄の法を生じ、世間に於いては是れ実なり。

諸賢聖真知顛倒性。故知一切法皆空無生。於聖人是第一義諦名為実。

諸の賢聖は、真に顛倒の性を知るが故に、一切の法は皆空にして、無生なるを知り、聖人に於いては、是の第一義諦を名づけて、実と為す。

諸仏依是二諦。而為衆生説法。

諸仏は、是の二諦に依りて、衆生の為に法を説きたもう。

若人不能如実分別二諦。則於甚深仏法。不知実義。

若し人、如実に二諦を分別する能わざれば、則ち甚深の仏法に於いて、実義を知らず。

若謂一切法不生是第一義諦。不須第二俗諦者。是亦不然。

若し、一切法の不生なる、是れ第一義諦にして、第二の俗諦を須いず、と謂わば、是れも亦た然らず。.

何以故
若不依俗諦 不得第一義
不得第一義 則不得涅槃

何を以っての故に、
若し俗諦に依らずんば、第一義を得ず、
第一義を得ずんば、則ち涅槃を得ず。

第一義皆因言説。 言説是世俗。是故若不依世俗。第一義則不可説。

第一義は皆、言説に因り、言説は、是れ世俗なり。是の故に、世俗に依らざれば、第一義は、則ち説くべからず。

若不得第一義。云何得至涅槃。

若し第一義を得ざれば、云何が涅槃に至るを得ん。

是故諸法雖無生。而有二諦。

是の故に、諸法は無生なりと雖も、二諦有り。