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出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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すべての事物を<kana>実有(じつう)</kana>とみる有見と、<kana>空無(くうむ)</kana>とみる無見。 ともに邪見とされる。 ([[讃阿弥陀仏偈 (七祖)#P--162|讃弥陀偈 P.162]]) | すべての事物を<kana>実有(じつう)</kana>とみる有見と、<kana>空無(くうむ)</kana>とみる無見。 ともに邪見とされる。 ([[讃阿弥陀仏偈 (七祖)#P--162|讃弥陀偈 P.162]]) |
2017年7月11日 (火) 19:06時点における版
有無
- 1.有と無、肯定と否定、存在と非存在。
- 2.有見と無見。あらゆる事物を、実に有りとみなすことと無しとみなすこと。いずれも誤った見解なので邪見という。 (浄文 P.486,浄土 P.557,高僧 P.578,正信大意 P.1029)
すべての事物を
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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