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出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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天台大師智顗の中心の教えの一つ。われわれはこの世界を実在するものと単純に解したり、逆に実有(じつう)ならざるものと解することもある。その解し方は無数であるが、実はその無数の了解の仕方に応じて、われわれの善悪さまざまのあり方が現出してくる。自らの認識の仕方に従って、いろいろのあり方をとりえて、しかも現に具体的にあるものとして生きているという衆生(しゅじょう)のあり方の構造を、衆生の心のなかにもともと「具(そな)」わっているもの(=心具)と見て取って立言されたのが、性具説である。[新田雅章](コトバンクより引用)
 
天台大師智顗の中心の教えの一つ。われわれはこの世界を実在するものと単純に解したり、逆に実有(じつう)ならざるものと解することもある。その解し方は無数であるが、実はその無数の了解の仕方に応じて、われわれの善悪さまざまのあり方が現出してくる。自らの認識の仕方に従って、いろいろのあり方をとりえて、しかも現に具体的にあるものとして生きているという衆生(しゅじょう)のあり方の構造を、衆生の心のなかにもともと「具(そな)」わっているもの(=心具)と見て取って立言されたのが、性具説である。[新田雅章](コトバンクより引用)
 
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2017年11月2日 (木) 23:07時点における版

しょうぐ

天台大師智顗の中心の教えの一つ。われわれはこの世界を実在するものと単純に解したり、逆に実有(じつう)ならざるものと解することもある。その解し方は無数であるが、実はその無数の了解の仕方に応じて、われわれの善悪さまざまのあり方が現出してくる。自らの認識の仕方に従って、いろいろのあり方をとりえて、しかも現に具体的にあるものとして生きているという衆生(しゅじょう)のあり方の構造を、衆生の心のなかにもともと「具(そな)」わっているもの(=心具)と見て取って立言されたのが、性具説である。[新田雅章](コトバンクより引用)