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「要門」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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 浄土要門。<kana>[[弘願]](ぐがん)</kana>、すなわち第十八願に転じ入る肝要な門戸の意。第十九願を開説した『観経』に説かれている。<kana>[[定散]](じょうさん)</kana>二善の諸行の法門をいう。→[[弘願]]、[[真門]]、[[補註15]]。
  
 
 浄土に往生する肝要の法門。([[帰三宝偈#P--1452|帰三宝偈 P.1452]]、[[安楽集 (七祖)#P--246|安楽集 P.246]])
 
 浄土に往生する肝要の法門。([[帰三宝偈#P--1452|帰三宝偈 P.1452]]、[[安楽集 (七祖)#P--246|安楽集 P.246]])
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巻末註
 
 
浄土要門。<kana>[[弘願]](ぐがん)</kana>、すなわち第十八願に転じ入る肝要な門戸の意。第十九願を開説した『観経』に説かれている。<kana>[[定散]](じょうさん)</kana>二善の諸行の法門をいう。→[[弘願]]、[[真門]]、[[補註15]]。
 
 
 
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要門、真門、弘願という言葉の初出は善導大師であるが、親鸞聖人はこの言葉を浄土門内の自力と他力をあらわす教判の意味に使われている。親鸞聖人は聖道門仏教から浄土門へ入る要門と見られた。このために『観経』には聖道門の行体が顕説で説かれている。 →[[六三法門]]
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要門、[[真門]]、[[弘願]]という言葉の初出は善導大師であるが、親鸞聖人はこの言葉を浄土門内の自力と他力をあらわす教判の意味に使われている。親鸞聖人は聖道門仏教から浄土門へ入る要門と見られた。このために『観経』には聖道門の行体が顕説で説かれている。 →[[六三法門]]

2017年11月9日 (木) 19:08時点における版

ようもん

 浄土要門。弘願(ぐがん)、すなわち第十八願に転じ入る肝要な門戸の意。第十九願を開説した『観経』に説かれている。定散(じょうさん)二善の諸行の法門をいう。→弘願真門補註15

 浄土に往生する肝要の法門。(帰三宝偈 P.1452安楽集 P.246)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

要門、真門弘願という言葉の初出は善導大師であるが、親鸞聖人はこの言葉を浄土門内の自力と他力をあらわす教判の意味に使われている。親鸞聖人は聖道門仏教から浄土門へ入る要門と見られた。このために『観経』には聖道門の行体が顕説で説かれている。 →六三法門