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「因本」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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:一々の願にのたまはく、〈もしわれ仏を得たらんに、十方の衆生、わが名号を称してわが国に生ぜんと願ぜんに、下十念に至るまで、もし生ぜずは、正覚を取らじ〉」。
 
:一々の願にのたまはく、〈もしわれ仏を得たらんに、十方の衆生、わが名号を称してわが国に生ぜんと願ぜんに、下十念に至るまで、もし生ぜずは、正覚を取らじ〉」。
 
と、四十八願の全ての願の根底には第十八願があるとせられ、四十八願という言葉を第十八願の意で用いておられる。
 
と、四十八願の全ての願の根底には第十八願があるとせられ、四十八願という言葉を第十八願の意で用いておられる。
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[[Category:追記]]

2018年1月6日 (土) 15:28時点における版

いんぽん

 本願の本の意味を因本と根本に分けて考察するときの熟語。
 阿弥陀仏が因位(法蔵菩薩)のとき、衆生を救うための願をおこされたこと。因位の誓願ということで、広く四十八願をさして因本という。これに対して、根本の義で解釈する場合は、四十八願の中で、他の四十七願を枝末とし、第十八願を根本とみるから、本願とは根本願たる第十八願をあらわす語であるとする。
なお善導大師は、『観経疏』「玄義分」で、

一々の願にのたまはく、〈もしわれ仏を得たらんに、十方の衆生、わが名号を称してわが国に生ぜんと願ぜんに、下十念に至るまで、もし生ぜずは、正覚を取らじ〉」。

と、四十八願の全ての願の根底には第十八願があるとせられ、四十八願という言葉を第十八願の意で用いておられる。