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「能所」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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ある動作の主体となるのを能、その動作の客体(目的)となるものを所という。例えば依り手を能依、依り所となるもの(依られ手)を所依、物を見る目は能見、見られるものは所見、行ずる者は能行、行われる内容は所行、帰依する者は能帰、帰依されるものは所帰というようなもの。
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(能)能動と(所)受動。行為の主体と客体のこと。
 
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ある動作の主体となるのを能、その動作の客体(目的)となるものを所という。例えば依り手を能依、依り所となるもの(依られ手)を所依、物を見る目は能見、見られるものは所見、行ずる者は能行、行われる内容は所行、帰依する者は能帰、帰依されるものは所帰というようなもの。
  
 
能詮の言教、所詮の法義。詮はあらわすという意味で、「能詮の言教」とは言語によってあらわされた教えをいう。「所詮の法義」とは、その言語によってあらわされた内容をいう。御開山は、真実の教は『大無量寿経』であるとされ、その内容は、「如来の本願を説きて経の宗致とす、すなはち仏の名号をもつて経の体とするなり。」とせられた。
 
能詮の言教、所詮の法義。詮はあらわすという意味で、「能詮の言教」とは言語によってあらわされた教えをいう。「所詮の法義」とは、その言語によってあらわされた内容をいう。御開山は、真実の教は『大無量寿経』であるとされ、その内容は、「如来の本願を説きて経の宗致とす、すなはち仏の名号をもつて経の体とするなり。」とせられた。
  
 
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2018年4月26日 (木) 09:49時点における版

のうしょ

Ⅰ 能は能化で、教え導く師、所は所化で、教えを受ける弟子。(改邪鈔 P.926)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

「能所」

(能)能動と(所)受動。行為の主体と客体のこと。

ある動作の主体となるのを能、その動作の客体(目的)となるものを所という。例えば依り手を能依、依り所となるもの(依られ手)を所依、物を見る目は能見、見られるものは所見、行ずる者は能行、行われる内容は所行、帰依する者は能帰、帰依されるものは所帰というようなもの。

能詮の言教、所詮の法義。詮はあらわすという意味で、「能詮の言教」とは言語によってあらわされた教えをいう。「所詮の法義」とは、その言語によってあらわされた内容をいう。御開山は、真実の教は『大無量寿経』であるとされ、その内容は、「如来の本願を説きて経の宗致とす、すなはち仏の名号をもつて経の体とするなり。」とせられた。