操作

「よく…願はんものは」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
1行目: 1行目:
 
よく…ねがわんものは
 
よく…ねがわんものは
  
 通常は「よくみずから思量せよ。すでによく今身にかの国に生ぜんと願ずるものは」と読む。 ([[信巻末#P--256|信巻 P.256]])
+
 通常は「よくみずから思量せよ。すでによく今身にかの国に生ぜんと願ずるものは」と読む。 ([[信巻末#no83|信巻 P.256]])
  
 
{{Copyright}}
 
{{Copyright}}
 
----
 
----
已と己。宗組は、善自思量己能と読まれた。
+
已と己。御開山は、善自思量己能と読まれた。<br />
  
善自思量 已能今身願生彼国者 行住坐臥 必須励心剋己 昼夜莫廃 畢命為期 上在一形 似如少苦 前念命終 後念即生彼国
+
『往生礼讃』の訓:<br />
 +
:善自思量 已能今身願生彼国者 行住坐臥 必須励心剋己 昼夜莫廃 畢命為期 上在一形 似如少苦 前念命終 後念即生彼国。
 +
::よくみづから思量せよ。すでによく今身にかの国に生ぜんと願ずるものは、行住坐臥にかならずすべからく心を励まし、おのれを剋して昼夜に廃することなく、畢命を期となすべし。
  
よくみづからおのれが能を思量せよ、と読むことによって念仏以外には救済がないという意を強調されている。原文では苦しいようだががんばれという意味。
+
御開山の訓:<br />
 +
:よくみづからおのれが能を思量せよ。今身にかの国に生ぜんと願はんものは、行住座臥にかならずすべからく心を励ましおのれに剋して、昼夜に廃することなかるべし。
 +
 
 +
よくみづからおのれ(己)が能を思量せよ、と読むことによって念仏以外には救済がないという意を強調されている。原文では苦しいようだががんばれという意味。
 +
 
 +
 
 +
[[Category:追記]]

2018年5月11日 (金) 19:39時点における最新版

よく…ねがわんものは

 通常は「よくみずから思量せよ。すでによく今身にかの国に生ぜんと願ずるものは」と読む。 (信巻 P.256)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

已と己。御開山は、善自思量己能と読まれた。

『往生礼讃』の訓:

善自思量 已能今身願生彼国者 行住坐臥 必須励心剋己 昼夜莫廃 畢命為期 上在一形 似如少苦 前念命終 後念即生彼国。
よくみづから思量せよ。すでによく今身にかの国に生ぜんと願ずるものは、行住坐臥にかならずすべからく心を励まし、おのれを剋して昼夜に廃することなく、畢命を期となすべし。

御開山の訓:

よくみづからおのれが能を思量せよ。今身にかの国に生ぜんと願はんものは、行住座臥にかならずすべからく心を励ましおのれに剋して、昼夜に廃することなかるべし。

よくみづからおのれ(己)が能を思量せよ、と読むことによって念仏以外には救済がないという意を強調されている。原文では苦しいようだががんばれという意味。