「二河の譬喩」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
(ページの作成:「汝としての己の発見。 == 汝一心 正念直来 我能護 == 「また、西の岸の上に、人ありて喚ばうていはく、〈汝一心正念に...」) |
|||
5行目: | 5行目: | ||
「また、西の岸の上に、人ありて喚ばうていはく、〈汝一心正念にして直ちに来れ、我能く護らん〉」といふは、「西の岸の上に、人ありて喚ばうていはく」といふは、阿弥陀如来の誓願なり。 | 「また、西の岸の上に、人ありて喚ばうていはく、〈汝一心正念にして直ちに来れ、我能く護らん〉」といふは、「西の岸の上に、人ありて喚ばうていはく」といふは、阿弥陀如来の誓願なり。 | ||
− | + | <span style="font-size: 150%;font-weight: bold;">「汝」</span>の言は行者なり、これすなはち必定の菩薩と名づく。龍樹大士『十住毘婆沙論』(易行品 一六)にいはく、「即時入必定」となり。曇鸞菩薩の『論』(論註・上意)には、「入正定聚之数」といへり。善導和尚は、「希有人なり、最勝人なり、妙好人なり、好人なり、上上人なり、真仏弟子なり」といへり。 | |
− | + | <span style="font-size: 150%;font-weight: bold;">「一心」</span>の言は、真実の信心なり。 | |
− | + | <span style="font-size: 150%;font-weight: bold;">「正念」</span>の言は、選択摂取の本願なり、また第一希有の行なり、金剛不壊の心なり。 | |
− | + | <span style="font-size: 150%;font-weight: bold;">「直」</span>の言は、回に対し迂に対するなり。また「直」の言は、方便仮門を捨てて如来大願の他力に帰するなり、諸仏出世の直説を顕さしめんと欲してなり。 | |
− | + | <span style="font-size: 150%;font-weight: bold;">「来」</span>の言は、去に対し往に対するなり。また報土に還来せしめんと欲してなり。 | |
− | + | <span style="font-size: 150%;font-weight: bold;">「我」</span>の言は、尽十方無礙光如来なり、不可思議光仏なり。 | |
− | + | <span style="font-size: 150%;font-weight: bold;">「能」</span>の言は、不堪に対するなり、疑心の人なり。 | |
− | + | <span style="font-size: 150%;font-weight: bold;">「護」</span>の言は、阿弥陀仏果成の正意を顕すなり、また摂取不捨を形すの貌なり、すなはちこれ現生護念なり。 |
2018年6月17日 (日) 11:43時点における版
汝としての己の発見。
汝一心 正念直来 我能護
「また、西の岸の上に、人ありて喚ばうていはく、〈汝一心正念にして直ちに来れ、我能く護らん〉」といふは、「西の岸の上に、人ありて喚ばうていはく」といふは、阿弥陀如来の誓願なり。
「汝」の言は行者なり、これすなはち必定の菩薩と名づく。龍樹大士『十住毘婆沙論』(易行品 一六)にいはく、「即時入必定」となり。曇鸞菩薩の『論』(論註・上意)には、「入正定聚之数」といへり。善導和尚は、「希有人なり、最勝人なり、妙好人なり、好人なり、上上人なり、真仏弟子なり」といへり。
「一心」の言は、真実の信心なり。
「正念」の言は、選択摂取の本願なり、また第一希有の行なり、金剛不壊の心なり。
「直」の言は、回に対し迂に対するなり。また「直」の言は、方便仮門を捨てて如来大願の他力に帰するなり、諸仏出世の直説を顕さしめんと欲してなり。
「来」の言は、去に対し往に対するなり。また報土に還来せしめんと欲してなり。
「我」の言は、尽十方無礙光如来なり、不可思議光仏なり。
「能」の言は、不堪に対するなり、疑心の人なり。
「護」の言は、阿弥陀仏果成の正意を顕すなり、また摂取不捨を形すの貌なり、すなはちこれ現生護念なり。