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「見」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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Ⅰ.梵語ドリシュティ(dṛṣṭi)の意訳。推しはかって見解を定めること。見解、思想、主義、主張、などと用いる。正見・邪見などと正・邪にわたって用いられるが、多くの場合間違った見解を指す。誤った見解を二見、五見、七見などと分類する。<br>
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Ⅰ.梵語ドリシュティ(dṛṣṭi)の訳。考えおしはかり、ものごとに対して見解を定めること。見解、思想、主義、主張、正見、邪見などと用いるが、多くの場合間違った見解を指す。煩悩に五見(五利便)を数え、また二見、七見、十見などに分類する。<br>
① 二見。[[有見]]と[[無見]]、あるいは眼見と'''[[聞見]]'''のこと。<br>
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② 五見。
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① 二見。[[有見]]と[[無見]]、または断見と常見を二見という。これは五見の中の辺見にあたる。<br>
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五見に貪見・恚見・慢見・無明見・疑見を加えて十見または十種見という。<br>
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③ 非仏教的な間違った見解を四見、六十二見(梵網経の説)などに分類する。四見とは、いわゆる四句分別によってすべての外道の説を網羅したもので、例えば「世界は常住」·「無常」·「常住であって無常」·「常住でも無常でもない」とする四つの誤った見解などをいう。また邪因邪果・無因有果・有因無果・無因無果の四つの誤った主張をも四見という。
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#身見(自己を実体視し、とらわれる誤った見解)、
 
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#辺見(あらゆる事物を実に有るとか無いとかみなし、極端にとらわれる誤った見解。有見・無見または常見・断見のこと)、
 
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#見取見(誤った白己の見解を最上のものとみなす見解)、
 
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#戒禁取見(仏教以外の戒律などを解脱の因とみなす誤った見解)の五。
 
#戒禁取見(仏教以外の戒律などを解脱の因とみなす誤った見解)の五。
③ 七見。<br>
 
#我見(実体的な自我に執着する見解)、
 
#邪見、
 
#常見、
 
#断見、
 
#戒盗見(戒禁取見)、
 
#果盗見(誤った行為によって得た果報を最上のものとみなす見解)、
 
#疑見(仏教の真理を疑う見解)の七。
 
  
Ⅱ.梵語ダルジャナ(darśana)の音写。見ること。例えば、見諦は四諦の道理を明らかに見ること。見仏は仏に値見(お目にかかる)こと。(仏教語辞典)
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2018年9月16日 (日) 16:02時点における版

けん 

Ⅰ.梵語ドリシュティ(dṛṣṭi)の訳。考えおしはかり、ものごとに対して見解を定めること。見解、思想、主義、主張、正見、邪見などと用いるが、多くの場合間違った見解を指す。煩悩に五見(五利便)を数え、また二見、七見、十見などに分類する。

① 二見。有見無見、または断見と常見を二見という。これは五見の中の辺見にあたる。
② 七見。

  1. 邪見 (因果の理の否定)、
  2. 我見 (我があるとする見)、
  3. 常見 (身心の常住に執着すること)、
  4. 断見 (身心の断滅に執着すること)、、
  5. 戒盗見 (戒禁取見のことで、よこしまな戒律を正しいとして、それに執着すること)、
  6. 果盗見 (よこしまな行為によって得た結果を正しいものとして執着すること)、
  7. 疑見 (真理を疑うこと)の七。

五見に貪見・恚見・慢見・無明見・疑見を加えて十見または十種見という。

③ 非仏教的な間違った見解を四見、六十二見(梵網経の説)などに分類する。四見とは、いわゆる四句分別によってすべての外道の説を網羅したもので、例えば「世界は常住」·「無常」·「常住であって無常」·「常住でも無常でもない」とする四つの誤った見解などをいう。また邪因邪果・無因有果・有因無果・無因無果の四つの誤った主張をも四見という。

Ⅱ.梵語ダルジャナ(darśana)の訳。見ること。例えば、見諦は四諦の道理を明らかに見ること。見仏は仏に値見する(お目にかかる)こと。(仏教語辞典)


五見。

  1. 身見(自己を実体視し、とらわれる誤った見解)、
  2. 辺見(あらゆる事物を実に有るとか無いとかみなし、極端にとらわれる誤った見解。有見・無見または常見・断見のこと)、
  3. 邪見(因果の道理を否定する誤った見解)、
  4. 見取見(誤った白己の見解を最上のものとみなす見解)、
  5. 戒禁取見(仏教以外の戒律などを解脱の因とみなす誤った見解)の五。