「教相判釈」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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そこですべての教説を体系化することが求められ、そこに一貫する釈尊の真意が追求された。諸経典の翻訳が概ね揃い、その全体像が見えてきた5世紀頃から中国で発達し、宗派形成へとつながった。 | そこですべての教説を体系化することが求められ、そこに一貫する釈尊の真意が追求された。諸経典の翻訳が概ね揃い、その全体像が見えてきた5世紀頃から中国で発達し、宗派形成へとつながった。 | ||
天台宗の五時八教判、三論宗の二蔵判、華厳宗の五教十宗判、法相宗の三時教判、真言宗の十住心判などが知られ、浄土門では、道綽の[[聖浄二門判]]、親鸞の'''[[二双四重|二双四重判]]'''などがある。 →[[二双四重]] (浄土真宗辞典) | 天台宗の五時八教判、三論宗の二蔵判、華厳宗の五教十宗判、法相宗の三時教判、真言宗の十住心判などが知られ、浄土門では、道綽の[[聖浄二門判]]、親鸞の'''[[二双四重|二双四重判]]'''などがある。 →[[二双四重]] (浄土真宗辞典) |
2018年10月3日 (水) 21:34時点における版
きょうそう-はんじゃく
教判・判教などともいう。釈尊が一生涯に説いた教えを、形式・意味内容などにもとづいて解釈・分類し、仏教全体を統一的に把握しようとすること。中国には互いに矛盾する内容を持った種々の経典が、いずれも釈尊の直説として混然と伝わった。 そこですべての教説を体系化することが求められ、そこに一貫する釈尊の真意が追求された。諸経典の翻訳が概ね揃い、その全体像が見えてきた5世紀頃から中国で発達し、宗派形成へとつながった。 天台宗の五時八教判、三論宗の二蔵判、華厳宗の五教十宗判、法相宗の三時教判、真言宗の十住心判などが知られ、浄土門では、道綽の聖浄二門判、親鸞の二双四重判などがある。 →二双四重 (浄土真宗辞典)