「至誠心」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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(一には至誠心と。「至」とは真なり、「誠」とは実なり。一切衆生の身口意業所修の解行、かならずすべからく真実心のうちになすべきことを明かさんと欲す。 外に賢善精進の相を現じ、内に虚仮を懐くことを得ざれ。) | (一には至誠心と。「至」とは真なり、「誠」とは実なり。一切衆生の身口意業所修の解行、かならずすべからく真実心のうちになすべきことを明かさんと欲す。 外に賢善精進の相を現じ、内に虚仮を懐くことを得ざれ。) | ||
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2018年12月1日 (土) 14:12時点における版
第二節 至誠心の意義
一、至誠心釈の概要
『選択集』「三心章」によれば、三心は念仏行者の至要であって必ず具すべき心とされている。至誠心とは真実心であり、深心とは二種深信であらわされるような無疑の信心であり、廻向発願心とは、善根回向の義と、決定得生の願往生心という意味とをもっているとみなされていたようである。
第一の至誠心を、真実心とするのは『散善義』の至誠心釈に、
- 一者至誠心、至者真、誠者実、欲明一切衆生、身口意業所修解行、必須真実心中作、不得外現賢善精進之相、内懐虚仮。 「隠/顕」
(一には至誠心と。「至」とは真なり、「誠」とは実なり。一切衆生の身口意業所修の解行、かならずすべからく真実心のうちになすべきことを明かさんと欲す。 外に賢善精進の相を現じ、内に虚仮を懐くことを得ざれ。)