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「果遂の誓」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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かすいのちかい
 
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 ついには必ず弘願(ぐがん)に転入させるという誓い。([[化巻本#P--399|化巻 P.399]])
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2019年11月24日 (日) 01:11時点における版

かすいのちかい

 ついには必ず弘願(ぐがん)に転入させるという誓い。(化巻 P.399)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

◆ 参照読み込み (transclusion) 第二十願

 至心回向(ししんえこう)の願。(大経 P.18)



阿弥陀如来はもと果遂の誓[この果遂の願とは二十願なり]を発して、諸有群生海を悲引したまへり。すでにして悲願います。植諸徳本の願と名づく、また係念定生の願と名づく、また不果遂者の願と名づく、また至心回向の願と名づくべき。(化巻 P.400)

と四つの願名を挙げておられる。

原文:

設我得仏 十方衆生 聞我名号 係念我国 植諸徳本 至心廻向 欲生我国 不果遂者 不取正覚。

読下し:

たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、わが名号を聞きて、念をわが国に係け、もろもろの徳本を植ゑて、至心回向してわが国に生ぜんと欲せん。果遂せずは、正覚を取らじ。

現代語:
わたしが仏になるとき、すべての人々がわたしの名を聞いて、この国に思いをめぐらし、さまざまな功徳を積んで、心からその功徳をもってわたしの国に生れたいと願うなら、その願いをきっと果しとげさせましょう。そうでなければ、わたしは決してさとりを開きません。