「浄土和讃(国宝本)」の版間の差分
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2021年6月28日 (月) 21:17時点における版
浄土和讃(国宝本)
『稱讚淨土經』言 玄奘三藏譯
「假使經於百千倶胝那由多劫、以其无量百千倶胝那由多舌、一一舌上出无量聲、讚其功德、亦不能盡。」[文]
(正五)
彌陀の名號となえつゝ
信心まことにうるひとは
憶念の心つねにして
佛恩報ずるおもひあり
(正一二)
誓願不思議をうたがひて
御名を稱する往生は
宮殿のうちに五百歲
むなしくすぐとぞときたまふ
『讚阿彌陀佛偈』曰 曇鸞和尙造
南无阿彌陀佛A釋名『无量壽傍經』B奉贊亦曰安養C
成佛已來歷十劫
壽命方將无有量
法身光輪徧法界
照世盲冥故頂禮
【一】又號无量光
【二】眞實明
【三】又號无邊光
【四】平等覺
【五】又號无㝵光
【六】難思議
【七】又號无對光
【八】畢竟依
【九】又號光炎王
【十】大應供
【十一】又號淸淨光
【十二】又號歡喜光
【十三】大安慰
【十四】又號智慧光
【十五】又號不斷光
【十六】又號難思光
【十七】又號无稱光
【十八】號超日月光
【十九】无等等
【二十】廣大會
【廿一】大心海
【廿二】无上尊
【廿三】平等力
【廿四】大心力
【廿五】无稱佛
【廿六】婆伽婆
【廿七】講堂
【廿八】淸淨大攝受
【廿九】不可思議尊
【三十】道場樹
【卅一】眞无量
【卅二】淸淨樂
【卅三】本願功德聚
【卅四】淸淨勳
【卅五】功德藏
【卅六】无極尊
【卅七】南无不可思議光
已上阿彌陀如來尊號[已上略抄之]
『十住毗婆沙論』曰
【一】自在人W我禮R 【二】淸淨人W歸命R 【三】无量德W稱讚R
讚阿彌陀佛偈和讚
愚禿親鸞作
南无阿彌陀佛
(一)
彌陀成佛のこのかたは
いまに十劫をへたまへり
法身の光輪きわもなく
世の盲冥をてらすなり
(二)
智慧の光明はかりなし
有量の諸相ことごとく
光曉かぶらぬものはなし
眞實明に歸命せよ
(三)
解脫の光輪きわもなし
光觸かぶるものはみな
有無をはなるとのべたまふ
平等覺に歸命せよ
(四)
光雲无㝵如虛空
一切の有㝵にさわりなし
光澤かぶらぬものぞなき
難思議に歸命せよ
(五)
淸淨光明ならびなし
遇斯光のゆえなれば
一切の業繫ものぞこりぬ
畢竟依に歸命せよ
(六)
佛光照耀最第一
光炎王佛となづけたり
三塗の黑闇ひらくなり
大應供に歸命せよ
(七)
道光明朗超絶せり
淸淨光佛となづけたり
ひとたび光照かぶるもの
業垢をのぞき解脫をう
(八)
慈光はるかにかぶらしめ
ひかりのいたるところには
法喜をうとぞのべたまふ
大安慰に歸命せよ
(九)
无明の闇を破するゆへ
智慧光佛となづけたり
一切諸佛・三乘衆
ともに嘆譽したまへり
(一〇)
光明てらしてたえざれば
不斷光佛となづけたり
聞光力のゆへなれば
心不斷にて往生す
(一一)
佛光惻量なきゆへに
難思光佛となづけたり
諸佛は往生嘆じつゝ
彌陀の功德を稱せしむ
(一二)
神光の離相をとかざれば
无稱光佛となづけたり
因光成佛のひかりおば
諸佛の嘆ずるところなり
(一三)
光明月日に勝過して
超日月光となづけたり
釋迦嘆じてなほつきず
无等等に歸命せよ
(一四)
彌陀初會の聖衆は
算數のおよぶことぞなき
淨土をねがはむひとはみな
廣大會に歸命せよ
(一五)
安樂无量の大菩薩は
一生補處にいたるなり
普賢の德に歸してこそ
穢國にかならず化するなれ
(一六)
十方衆生のためにとて
如來の法藏あつめてぞ
本願弘誓に歸せしむる
大心海に歸命せよ
(一七)
觀音・勢志もろともに
慈光世界を照曜し
有縁を度してしばらくも
休息あることなかりけり
(一八)
安樂淨土にいたるひと
五濁惡世にかへりては
釋迦牟尼佛のごとくにて
利益衆生はきわもなし
(一九)
神力自在なることは
惻量すべきことぞなき
不思議の德をあつめたり
无上尊に歸命せよ
(二〇)
安樂聲聞・菩薩衆
人天智慧ほがらかに
身相莊嚴殊異なし
他方に順じて名をつらぬ
(二一)
顏容端政たぐひなし
精微妙軀非人天
虛无之身无極體
平等力に歸命せよ
(二二)
安樂國をねがふひと
正定聚にこそ住すなれ
邪定・不定聚くにゝなし
諸佛讚嘆したまへり
(二三)
十方諸有の衆生は
阿彌陀至德のみなをきゝ
眞實信心いたりなば
おほきに所聞を慶喜せむ
(二四)
若不生者のちかひゆへ
信樂まことにときいたり
一念慶喜するひとは
往生かならずさだまりぬ
(二五)
安樂佛土の依正は
法藏願力のなせるなり
天上天下にたぐひなし
大心力に歸命せよ
(二六)
安樂國土の莊嚴は
釋迦无㝵の大辯才
とくともつきじとのべたまふ
无稱佛に歸命せよ
(二七)
已今當の往生は
この土の衆生のみならず
十方佛土よりきたる
无量无數不可計なり
(二八)
阿彌陀佛のみなをきゝ
歡喜贊仰せしむれば
功德の寶を具足して
一念大利无上なり
(二九)
たとひ大千世界に
みてらむ火おもすぎゆきて
佛のみなをきくひとは
ながく不退にかなふなり
(三〇)
神力无極の阿彌陀は
无量の諸佛ほめたまふ
東方恆沙の佛國より
无數の菩薩ゆきたまふ
(三一)
自餘の九方の佛國も
菩薩の往覲またおなじ
釋迦牟尼如來偈をときて
无量の功德をほめたまふ
(三二)
諸來の无量菩薩衆
德本うえむためにとて
恭敬をいたし歌嘆す
みなひと婆伽婆に歸命せよ
(三三)
七寶講堂道場樹
方便化身の淨土なり
十方來生きわもなし
講堂道場禮すべし
(三四)
妙土廣大超數限
本願莊嚴よりおこる
淸淨大攝受に
稽首歸命せしむべし
(三五)
自利利他圓滿して
歸命方便巧莊嚴
こゝろもことばもたえたれば
不可思議尊に歸命せよ
(三六)
神力本願及滿足
明了堅固究竟願
慈悲方便不思議なり
眞无量に歸命せよ
(三七)
寶林・寶樹微妙音
自然淸和の伎樂にて
哀婉雅亮すぐれたり
淸淨樂に歸命せよ
(三八)
七寶樹林くにゝみつ
光耀たがひに映發す
華・菓・枝・葉またおなじ
本願功德聚に歸命せよ
(三九)
淸風寶樹をふくときは
いつゝの音聲いだしつゝ
宮商和して自然なり
淸淨勳を禮すべし
(四〇)
一一のはなのなかよりは
三十六百千億の
光明てらしてほがらかに
いたらぬところはさらになし
(四一)
一一のはなのなかよりは
三十六百千億の
佛身もひかりもひとしくて
相好金山のごとくなり
(四二)
相好ごとに百千の
ひかりを十方にはなちてぞ
つねに妙法ときひろめ
衆生を佛道にいらしむる
(四三)
七寶の寶池いさぎよく
八功德水みちみてり
无漏の依果不思議なり
功德藏に歸命せよ
(四四)
三塗苦難ながくとぢ
但有自然快樂音
このゆへ安樂となづけたり
无極尊に歸命せよ
(四五)
十方三世の无量慧
おなじく一如に乘じてぞ
二智圓滿道平等
攝化隨縁不思議なり
(四六)
彌陀の淨土に歸しぬれば
すなわち諸佛に歸するなり
一心をもちて一佛を
ほむるは无㝵人をほむるなり
(四七)
信心歡喜慶所聞
乃曁一念至心者
南无不可思議光佛
頭面に禮したてまつれ
(四八)
佛惠功德をほめしめて
十方の有縁にきかしめむ
信心すでにえむひとは
つねに佛恩報ずべし
已上四十八首
愚禿釋親鸞作
阿彌陀如來A觀世音菩薩B大勢至菩薩C
釋迦牟尼佛A富樓那尊者B大目犍連B阿難尊者C
頻婆沙羅王A韋提夫人B耆婆大臣B月光大臣C
提婆尊者A阿闍世王B行雨大臣B守門者C
淨土和讚 愚禿親鸞作
『大經』意 二十二首
(四九)
尊者阿難座よりたち
世尊の威光を瞻仰し
生希有心とおどろかし
未曾見とぞあやしみし
(五〇)
如來の光瑞希有にして
阿難はなはだこゝろよく
如是之義ととえりしに
出世の本意あらはせり
(五一)
大寂定にいりたまひ
如來の光顏たえにして
阿難の慧見をみそなはし
問斯慧義とほめたまふ
(五二)
如來興世の本意には
本願眞實ひらきてぞ
難値難見とときたまひ
猶靈瑞華としめしける
(五三)
彌陀成佛のこのかたは
いまに十劫とときたれど
塵點久遠劫よりも
ひさしき佛とみえたまふ
(五四)
南无不可思議光佛
饒王佛のみもとにて
十方淨土のなかよりぞ
本願選擇攝取する
(五五)
无㝵光佛のひかりには
淸淨・歡喜・智慧光
その德不可思議にして
十方諸有を利益せり
(五六)
至心・信樂・欲生と
十方の諸有をすゝめてぞ
不思議の誓願あらわして
眞實報土の因とする
(五七)
眞實信心うるひとは
すなわち定聚のかずにいる
不退のくらゐに住すれば
かならず滅度にいたらしむ
(五八)
諸佛の大悲ふかければ
佛智の不思議をあらわして
變成男子の願をたて
女人成佛ちかひたり
(五九)
至心・發願・欲生と
十方衆生を方便し
衆善の假門ひらきてぞ
現其人前と願じける
(六〇)
臨終現前の願により
釋迦は諸善をことごとく
『觀經』一部にあらわして
定散諸機をすゝめけり
(六一)
諸善萬行ことごとく
至心發願せるゆへに
往生淨土の方便の
善とならぬはなかりけり
(六二)
至心・回向・欲生と
十方衆生を方便し
名號の眞門ひらきてぞ
不果遂者と願じける
(六三)
果遂の願によりてこそ
釋迦は善本德本を
『彌陀經』にあらわして
一乘の機をすゝめける
(六四)
定散自力の稱名は
果遂のちかひに歸してこそ
おしえざれども自然に
眞如の門に轉入する
(六五)
安樂淨土をねがひつゝ
他力の信をえぬひとは
佛智不思議をうたがひて
邊地懈慢にとまるなり
(六六)
如來の興世あひがたく
諸佛の經道きゝがたし
菩薩の勝法きくことも
无量劫にもまれらなり
(六七)
善知識にあふことも
おしふることもまたかたし
よくきくこともかたければ
行ずることもなほかたし
(六八)
一代諸敎の信よりも
弘願の信樂なほかたし
難中之難とときたまひ
无過此難とのべたまふ
(六九)
念佛成佛これ眞宗
萬行諸善これ要門
權實眞假をわかずして
自然の淨土をえぞしらぬ
(七〇)
聖道權假の方便に
衆生ひさしくとゞまりて
諸有に流轉のみとぞなる
悲願の一乘歸命せよ
已上『大經』意
『觀經』意 九首
(七一)
恩德廣大釋迦如來
韋提夫人に敕してぞ
光臺現國のそのなかに
安樂世界をえらばしむ
(七二)
頻婆沙羅王敕せしめ
宿因その期をまたずして
仙人殺害のむくひには
七重のむろにとぢられき
(七三)
阿闍世王は瞋怒して
我母是賊としめしてぞ
無道にはゝを害せむと
つるぎをぬきてむかひける
(七四)
耆婆・月光ねむごろに
是栴陀羅とはぢしめて
不宜住此と奏してぞ
闍王の逆心いさめける
(七五)
耆婆大臣おさえてぞ
却行而退せしめつゝ
闍王つるぎをすてしめて
韋提をみやに禁じける
(七六)
彌陀・釋迦方便して
阿難・目連・富樓那・韋提
達多・闍王・頻婆沙羅
耆婆・月光・行雨等
(七七)
大聖おのおのもろともに
凡愚底下のつみびとを
逆惡もらさぬ誓願に
方便引入せしめけり
(七八)
釋迦韋提方便して
淨土の機縁熟すれば
行雨大臣證として
闍王逆害興ぜしむ
(七九)
定散諸機各別の
自力の三心ひるがへし
如來利他の信心に
通入せむとねがふべし
已上『觀經』意
『彌陀經』意 五首
(八〇)
十方微塵世界の
念佛の衆生をみそなわし
攝取してすてざれば
阿彌陀となづけたてまつる
(八一)
恆沙塵數の如來は
萬行の少善きらいつゝ
名號不思議の信心を
ひとしくひとえにすゝめたり
(八二)
十方恆沙の諸佛は
極難信ののりをとき
五濁惡世のためにとて
證成護念せしめたり
(八三)
諸佛の護念證成は
悲願成就のゆへなれば
金剛心をえむひとは
彌陀の大恩報ずべし
(八四)
五濁惡時惡世界
濁惡邪見の衆生には
彌陀の名號あたえてぞ
恆沙の信心すゝめたる
已上『彌陀經』意
諸經意彌陀佛和讚 九首
(八五)
无明の大夜をあわれみて
法身の光輪きわもなく
无㝵光佛としめしてぞ
安養界に影現する
(八六)
久遠實成阿彌陀佛
五濁の凡愚をあわれみて
釋迦牟尼佛としめしてぞ
迦邪城には應現する
(八七)
百千倶胝劫をへて
百千倶胝のしたをいだし
したごと无量のこゑをして
彌陀をほめむになほつきじ
(八八)
大聖易往とときたまふ
淨土をうたがふ衆生おば
無眼人とぞなづけたる
無耳人とぞのべたまふ
(八九)
无上上は眞解脫
眞解脫は如來なり
眞解脫にいたるにぞ
无愛无疑とはあらはるゝ
(九〇)
平等心をうるときを
一子地となづけたり
一子地は佛性なり
安養にいたりてさとるべし
(九一)
如來すなわち涅槃なり
涅槃を佛性となづけたり
凡地にしてはさとられず
安養にいたりて證すべし
(九二)
歡喜信心無疑者おば
與諸如來等ととく
大信心は佛性なり
佛性すなわち如來なり
(九三)
衆生有㝵のさとりにて
无㝵の佛智をうたがへば
曾婆羅頻陀落地獄にて
多劫衆苦にしづむなり
已上諸經意
現世の利益和讚 十五首
(九四)
阿彌陀如來來化して
息災延命のためにとて
『金光明』の「壽量品」
ときおきたまへるみのりなり
(九五)
山家の傳敎大師は
國土人民をあわれみて
七難消滅の誦文には
南无阿彌陀佛ととなえしむ
(九六)
一切の功德にすぐれたる
南无阿彌陀佛をとなふれば
三世の重障みなながら
かならず轉じて輕微なり
(九七)
南无阿彌陀佛をとなふれば
このよの利益きわもなし
流轉輪回のつみきえて
定業中夭のぞこりぬ
(九八)
南无阿彌陀佛をとなふれば
梵王・帝釋歸敬す
諸天善神ことごとく
よるひるつねにまもるなり
(九九)
南无阿彌陀佛をとなふれば
四天大王もろともに
よるひるつねにまもりつゝ
よろづの惡鬼をちかづけず
(一〇〇)
南无阿彌陀佛をとなふれば
堅牢地祇は尊敬す
かげとかたちのごとくにて
よるひるつねにまもるなり
(一〇一)
南无阿彌陀佛をとなふれば
難陀・跋難大龍等
无量の龍神尊敬し
よるひるつねにまもるなり
(一〇二)
南无阿彌陀佛をとなふれば
炎魔法王尊敬す
五道冥官みなともに
よるひるつねにまもるなり
(一〇三)
南无阿彌陀佛をとなふれば
他化天の大魔王
釋迦牟尼佛のみまへにて
まもらむとこそちかひしか
(一〇七)
天神・地祇はことごとく
善鬼神となづけたり
これらの善神みなともに
念佛のひとをまもるなり
(一〇八)
願力不思議の信心は
大菩提心なりければ
天地にみてる惡鬼神
みなことごとくおそるなり
(一〇四)
南无阿彌陀佛をとなふれば
觀音・勢至はもろともに
恆沙塵數の菩薩と
かげのごとくにみにそえり
(一〇五)
无㝵光佛のひかりには
无數の阿彌陀ましまして
化佛おのおの无數の
光明无量无邊なり
(一〇六)
南无阿彌陀佛をとなふれば
十方无量の諸佛は
百重千重圍繞して
よろこびまもりたまふなり
已上現世利益
已上彌陀一百八首 釋親鸞作
『首楞嚴經』によりて大執至菩薩和讚したてまつる
(一〇九)
勢志念佛圓通えて
五十二菩薩もろともに
すなわち座よりたゝしめて
佛足を頂禮せしめつゝ
(一一〇)
敎主世尊にまふさしむ
往昔恆河沙劫に
佛よにいでたまへりき
无量光となづけたり
(一一一)
十二の如來あひつぎて
十二劫をへたまへり
最後の如來をなづけてぞ
超日月光とまふしける
(一一二)
超日月光このみには
念佛三昧おしえしむ
十方の如來衆生を
一子のごとくに憐念す
(一一三)
子の母をおもふごとくにて
衆生佛を憶すれば
現前當來とおからず
如來を拜見うたがはず
(一一四)
染香人のそのみには
香氣あるがごとくなり
これをすなわちなづけては
香光莊嚴とまふすなり
(一一五)
われもと因地にありしとき
念佛の心をもちてこそ
无生忍にはいりしかば
いまこの娑婆界にして
(一一六)
念佛のひとを攝してこそ
淨土に歸せしむるなり
大勢至菩薩の
大恩ふかく報ずべし
已上大勢至菩薩
源空聖人之御本地也
『經』(首楞嚴*經卷五)言、
「我本因地 以念佛心
入无生忍 今於此界
攝念佛人 歸於淨土。」