「坊官」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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門跡寺院に置かれ家政事務を担当した役職。僧服を着用して帯刀した。本願寺においては、永禄2年 (1559)、11代顕如の時に門跡寺院となったことにより置かれ、 下間氏から任ぜられた。 明治維新後の制度改革で廃止された。(浄土真宗辞典) | 門跡寺院に置かれ家政事務を担当した役職。僧服を着用して帯刀した。本願寺においては、永禄2年 (1559)、11代顕如の時に門跡寺院となったことにより置かれ、 下間氏から任ぜられた。 明治維新後の制度改革で廃止された。(浄土真宗辞典) | ||
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2023年11月20日 (月) 14:58時点における版
ぼうかん 坊官
門跡寺院に置かれ家政事務を担当した役職。僧服を着用して帯刀した。本願寺においては、永禄2年 (1559)、11代顕如の時に門跡寺院となったことにより置かれ、 下間氏から任ぜられた。 明治維新後の制度改革で廃止された。(浄土真宗辞典)
ぼうかん 坊官
門跡寺院の寺務を主管する役人。法橋(ほうきょう)・法眼・法印に叙(じょ)ぜられて法体で帯刀した。本願寺派では下間衆・一家宗寺院が寺務・宗務を管掌してきたが永禄12年 1569 、門跡寺院勅許にともない坊官制を採用し下間氏が職を占有した。末寺への伝達、末寺門徒の申物の取次ぎ、朝廷・公家・幕府・武家との交渉等、本山の枢要な占める権限をもった。 近代の教団機構の改革によもない、本願寺派は明治元年、高田派は同4年、大谷派は同五年に坊官・家臣の制を廃した。(真宗新辞典)