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出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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2023年12月7日 (木) 15:10時点における最新版

ごうしょうじ 毫摂寺

Ⅰ 出雲路派の本山。福井県越前市清水頭町。覚如の弟子乗専が京都の出雲路に一寺を建立したことに始まる。応仁・文明の乱により越前国に移転し、慶長元年 (1596)、寺基を現在の地に移した。元禄年間 (1688-1704) に青蓮院(しょうれんいん)の院家となり、明治5年 (1872)、政府の政策により本願寺派に属したが、明治11年 (1878)、別派独立し、出雲路派の本山となった。

Ⅱ 本願寺派の寺院。兵庫県宝塚市小浜。覚如の弟子乗専が創建したことに始まる。もとは京都の出雲路にあったが、善鎮の時、蓮如に帰依して本願寺派に属し、その後、小浜に移った。(浄土真宗)