「皇太子聖徳奉讚」の版間の差分
提供: WikiArc
(ページの作成:「<span id="P--0537"></span> 皇太子聖徳奉讚■愚禿親鸞作 (一)<br /> 日本国帰命聖徳太子<br /> 仏法弘興の恩ふかし<br /> 有情救済の慈悲...」) |
(相違点なし)
|
2023年12月14日 (木) 19:29時点における最新版
皇太子聖徳奉讚■愚禿親鸞作
(一)
日本国帰命聖徳太子
仏法弘興の恩ふかし
有情救済の慈悲ひろし
奉讚不退ならしめよ
(二)
四天王寺の四箇の院[1]
造建せむとて山城の
おたぎのそまやまにいりたまふ
そのとき令旨にあらわせり
(三)
ゆくすゑかならずこのところ
皇都たらむとしめしてぞ
未来の有情利せむとて
六角のつち壇つきたまひ
(四)
六角の精舎つくりてぞ
閻浮檀金三寸の
救世観音大菩薩
安置せしめたまひけり
(五)
数十の年歳へたまひて
摂州難波の皇都より
橘のみやこにうつりてぞ
法隆寺をたてたまふ
(六)
橘のみやこよりしてこそ
奈良のみやこにうつれりし
数大の御てらを造隆し
仏法さかりに弘興せり
(七)
奈良に四帝をへてのちに
長岡にうつりたまひけり
五十年をふるほどに
おたぎにみやこうつれりき
(八)
桓武天皇の聖代の
延曆六年にこのみやこ
造興のとき救世観音
奇瑞・霊験あらたなり
(九)
日本国にはこの御てら
仏法最初のところなり
太子の利益そのゝちに
所所に寺塔を建立せり
(一〇)
太子の勅命帰敬して
六角の御てらを信受す
皇宮の有情もろともに
恭敬尊重せしむべし
(一一)
聖徳太子印度にては
勝鬘夫人とむまれしむ
中夏晨旦にあらわれて
恵思禅師とまふしけり
(一二)
晨旦華漢におはしては
有情を利益せむとして
男女の身とむまれしめ
五百生をぞへたまひし
(一三)
仏法興隆のためにとて
衡州衡山にましまして
数十の身をへたまひて
如来の遺教弘興しき
(一四)
有情を済度せむために
恵思禅師とおはします
衡山般若台にては
南岳大師とまふしけり
(一五)
太子手印の御記にいはく
有情利益のためにとて
荒陵の郷の東に
寺を建立したまへり
(一六)
四天王寺の法号を
荒陵寺とぞ号しける
荒陵の郷にたつるゆへ
みてらの御なになづけたり
(一七)
癸の丑のとし
荒陵の東にうつしては
四天王寺となづけてぞ
仏法弘興したまへる
(一八)
このところにはそのむかし
釈迦牟尼如来ましまして
転法輪所としめしてぞ
仏法興隆したまへる
(一九)
そのとき太子長者にて
如来を供養したまひき
この因縁のゆへにより
寺塔を起立したまへり
(二〇)
四大天王造置して
仏法弘興したまふに
敬田院をたてたまひ
菩提を証するところとす
(二一)
この地のうちに麗水あり
荒陵池とぞなづけたる
青竜つねにすみてこそ
仏法守護せしめける
(二二)
丁の未のとしをもて
たまつくりのきしのうえに
青竜鎮祭せしめつゝ
仏法を助護したまへり
(二三)
この地に七宝をしくゆへに
青竜つねに住せしむ
麗水ひむがしへながれいづ
白石玉出水といふ
(二四)
慈悲心にてのむひとは
かならず法薬となるときく
令旨を信ぜむひとはみな
ながれをくみてたのむべし
(二五)
宝塔・金堂は極楽の
東門の中心にあひあたる
ひとたび詣するひとはみな
往生極楽うたがはず
(二六)
塔の心のはしらには
仏舎利六粒おさめしめ
六道の有情利益する
かたちとしめしたまひけり
(二七)
敬田院に安置せる
金銅の救世観音は
百済国の聖明王
太子滅後のそのゝちに
(二八)
恋慕渇仰せしめつゝ
つくりあらはす尊像を
阿佐太子を勅使にて
きたりましますかたみなり
(二九)
宝塔第一の露盤は
こがねを御てにてちりばめて
わが朝遺教興滅の
かたちを表すとのたまへり
(三〇)
太子百済国にましまして
仏像・経律論蔵と
法服・比丘尼をこの朝に
わたしたまひしそのときは
(三一)
欽明天皇治天下
壬申のとしなりき
如来の教法はじめてぞ
帰命せしめたてまつる
(三二)
律師・禅師・比丘・比丘尼
呪師・仏工・造寺工
敏達天皇治天下
丁酉にわたされき
(三三)
生を王家にうけしめて
詔を諸国にくだしてぞ
人民をすゝめましまして
寺塔・仏像造写せし
(三四)
用明天皇の胤子にて
聖徳太子とおはします
『法華』・『勝鬘』・『維摩』等
大乗の義疏を製記せり
(三五)
太子崩御のそのゝちに
如来の教法興隆し
有情を救済せむひとは
太子の御身と礼すべし
(三六)
六宗の教法崇立して
有情の利益たえざりき
つねに五戒をうけしめて
御名おば勝鬘とまふしけり
(三七)
往昔に夫人とありしとき
釈迦牟尼如来ねむごろに
『勝鬘経』をときたまふ
その因縁のゆへなれば
(三八)
この経典を講說し
義疏を製記したまひて
仏法興隆のはじめとし
有情利益のもととせり
(三九)
仏子勝鬘のたまはく
百済・高麗・任那・新羅
有情のありさまことごとく
貪狼のこゝろさかりなり
(四〇)
かれらのくにを摂伏し
帰伏せしめむためにとて
護世四天をつくりてぞ
西方にむかへて安置せる
(四一)
阿佐太子を勅使にて
わが朝にわたしたまひし
金銅の救世観世音
敬田院に安置せり
(四二)
この像つねに帰命せよ
聖徳太子の御身なり
この像ことに恭敬せよ
弥陀如来の化身なり
(四三)
仏子勝鬘うやまひて
十方諸仏を奉請す
梵・釈・四王・竜神等
一切護法まもるべし
(四四)
新羅の日羅まふしけり
敬礼救世観世音
伝灯東方粟散王と
八耳皇子を礼せしむ
(四五)
百済の阿佐太子礼せしむ
敬礼救世大慈観音菩薩
妙教流通東方日本国
四十九歳伝灯演說とまふしけり
(四六)
震旦にしては恵思禅師
恵文禅師は御師なり
勝鬘比丘の御時は
恵慈法師は御師なり
(四七)
像法第十三年に
漢の明帝の時代にぞ
天竺の摩騰迦・竺法蘭
仏教を白馬にのせきたる
(四八)
四百八十余年へて
漢土にわたしきたりては
みやこの西にてらをたて
白馬寺とぞなづけたる
(四九)
大日本国三十主
欽明天皇の御ときに
仏像・経典この朝に
奉献せしむときこえたり
(五〇)
像法五百余歳にぞ
聖徳太子の御よにして
仏法繁昌せしめつゝ
いまは念仏さかりなり
(五一)
御手印の縁起にのたまはく
崇峻天皇元年に
百済国より仏舎利を
たてまつるとぞ記したまふ
(五二)
太子の御ことにのたまはく
われ入滅のそのゝちに
国王・后妃とむまれしめ
くにぐに所所をすゝめては
(五三)
数大の寺塔を建立し
数大の仏像造置せむ
数多の経論書写せしめ
資財田園施入せむ
(五四)
長者卑賤のみとなりて
経論・仏像興隆し
比丘・比丘尼とむまれても
有縁の有情を救済せむ
(五五)
これは他身にあらずして
わが身これならくのみ
奉讚の一字一句も
みなこれ太子の金言なり
(五六)
儲君のくらゐをさづけしに
仏法興隆のためにとて
再三固辞せしめたまひしに
天皇これをゆるされず
(五七)
太子の御とし三十三
なつ四月にはじめてぞ
憲法製して十七条
御てにて書して奏せしむ
(五八)
十七の憲章つくりては
皇法の槻模としたまへり
朝家安穏の御のりなり
国土豊饒のたからなり
(五九)
天喜二年甲午に
忠禅宝塔たてむとて
てづから大地をけづりしに
金銅の䈄をほりいだす
(六〇)
はこの蓋の銘にいはく
今年かのとのみのとしに
かうちのくにいしかわに
しながのさとに勝地あり
(六一)
墓所を点じおわりにき
われ入滅のそのゝちに
四百三十余歳に
この記文は出現せむ
(六二)
仏法興隆せしめつゝ
有情利益のためにとて
かの衡山よりいでゝ
この日域にいりたまふ
(六三)
守屋が邪見を降伏して
仏法の威徳をあらわせり
いまに教法ひろまりて
安養の往生さかりなり
(六四)
如来の遺教を疑謗し
方便破壊せむものは
弓削の守屋とおもふべし
したしみちかづくことなかれ
(六五)
有情教化のためにとて
仏法を弘興したまふに
弓削の守屋は破賊にて
かげのごとく随従せり
(六六)
物部の弓削の守屋の逆臣は
ふかく邪心をおこしてぞ
寺塔を焼亡せしめつゝ
仏経を滅亡興ぜしか
(六七)
このとき仏法滅せしに
悲泣懊悩したまひて
陛下に奏聞せしめつゝ
軍兵を発起したまひき
(六八)
定の弓と慧の矢とを
和順してこそたちまちに
有情利益のためにとて
守屋の逆臣討伐せし
(六九)
寺塔・仏法を滅破し
国家・有情を壊失せむ
これまた守屋が変化なり
厭却降伏せしむべし
(七〇)
物部の弓削の守屋の逆臣は
生生世世にあひつたへ
かげのごとくにみにそひて
仏法破滅をたしなめり
(七一)
つねに仏法を毀謗し
有情の邪見をすゝめしめ
頓教破壊せむものは
守屋の臣とおもふべし
(七二)
聖徳太子の御名おば
八耳皇子とまふさしむ
[八人して一どに奏することを一度にきこしめすゆへに八耳皇子とまふすなり]
廐屋門の皇子とまふしけり
[皇后御まやに御遊ありけるにそのところにしてむまれさせましますによりてむまやどの皇子とまふすなり]
上宮太子とまふすなり
[つのくにわたのべの東の楼のきしのうえに宮ありけりその御所にましますゆへに上宮太子とまふすなり]
(七三)
憲章の第二にのたまはく
三宝にあつく恭敬せよ
四生のついのよりどころ
万国たすけの棟梁なり
(七四)
いづれのよいづれのひとか帰せざらむ
三宝よりまつらずは
いかでかこのよのひとびとの
まがれることをたゞさまし
(七五)
とめるものゝうたえは
いしをみづにいるゝがごとくなり
ともしきものゝあらそひは
みづをいしにいるゝににたりけり
南无救世観音大菩薩
哀愍覆護我
南无皇太子勝鬘比丘
願仏常摂受
皇太子仏子勝鬘
是縁起文、納置金堂内監、不可披見。手跡猥。
乙卯歳正月八日
拝見奉讚人者
南无阿弥陀仏
可唱可唱
建長七歳乙卯十一月晦日書之
- ↑ 一きやうでんゐん 二せやくゐん 三れうびやうゐん 四ひでんゐん