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「下間氏」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
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しもつまし 下間氏
 
しもつまし 下間氏
  
 本願寺において重役をつとめた一族。[[蓮位]]を祖とするといわれ、本願寺5代[[綽如]](しゃくにょ)の時代からは[[鎰取役]](かぎとりやく)を担った。戦国時代に至ると武将としての性格を強め、11代顕如の時代に本願寺が門跡になると、[[坊官]]に任じられた。本願寺の東西分派にともなって下間氏も分裂し、両寺の坊官としてそれぞれ重きをなした。明治維新後の坊官廃止にともなって家政寺務の役職を離れた。(浄土真宗辞典)
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 本願寺において重役をつとめた一族。[[蓮位]]を祖とするといわれ、本願寺5代[[綽如]](しゃくにょ)の時代からは[[鎰取役]](かぎとりやく)を担った。戦国時代に至ると武将としての性格を強め、11代[[顕如]]の時代に本願寺が[[門跡]]になると、[[坊官]]に任じられた。本願寺の東西分派にともなって[[下間氏]]も分裂し、両寺の[[坊官]]としてそれぞれ重きをなした。明治維新後の坊官廃止にともなって家政寺務の役職を離れた。(浄土真宗辞典)
 
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2024年2月4日 (日) 12:37時点における最新版

しもつまし 下間氏

 本願寺において重役をつとめた一族。蓮位を祖とするといわれ、本願寺5代綽如(しゃくにょ)の時代からは鎰取役(かぎとりやく)を担った。戦国時代に至ると武将としての性格を強め、11代顕如の時代に本願寺が門跡になると、坊官に任じられた。本願寺の東西分派にともなって下間氏も分裂し、両寺の坊官としてそれぞれ重きをなした。明治維新後の坊官廃止にともなって家政寺務の役職を離れた。(浄土真宗辞典)

坊官
鎰取役