「真実明」の版間の差分
提供: WikiArc
細 |
細 |
||
3行目: | 3行目: | ||
Ⅰ 明とは智慧のこと。真実の智慧で十方世界を照らす仏という意。「真というは偽りへつらわぬを真といふ。実というは必ずもののみ(実)となるをいふなり」 (異本左訓) ([[浄土和讃#P--557|浄土 P.557]]) | Ⅰ 明とは智慧のこと。真実の智慧で十方世界を照らす仏という意。「真というは偽りへつらわぬを真といふ。実というは必ずもののみ(実)となるをいふなり」 (異本左訓) ([[浄土和讃#P--557|浄土 P.557]]) | ||
− | + | Ⅱ 阿弥陀仏の[[三十七号]](「讃弥陀偈」に示される三十七の徳号)の一。明とは智慧のこと。真実の智慧で十方世界を照らす仏という意。([[真巻#P--361|真巻 P.361]]) | |
{{Copyright}} | {{Copyright}} | ||
---- | ---- |
2005年10月17日 (月) 06:53時点における版
しんじつみょう
Ⅰ 明とは智慧のこと。真実の智慧で十方世界を照らす仏という意。「真というは偽りへつらわぬを真といふ。実というは必ずもののみ(実)となるをいふなり」 (異本左訓) (浄土 P.557)
Ⅱ 阿弥陀仏の三十七号(「讃弥陀偈」に示される三十七の徳号)の一。明とは智慧のこと。真実の智慧で十方世界を照らす仏という意。(真巻 P.361)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。