「領解文(本文)」の版間の差分
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− | [[この御ことわり]]聴聞申しわけ候ふこと、御開山聖人(親鸞)御出世の御恩、次第相承の善知識のあさからざる御勧化の御恩と、ありがたく存じ候ふ。[[このうへは]]定めおかせらるる御掟、一期をかぎりまもりまうすべく候ふ。 | + | [[この御ことわり…|この御ことわり]]聴聞申しわけ候ふこと、御開山聖人(親鸞)御出世の御恩、次第相承の善知識のあさからざる御勧化の御恩と、ありがたく存じ候ふ。[[このうへは…|このうへは]]定めおかせらるる御掟、一期をかぎりまもりまうすべく候ふ。 |
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[右領解出言の文は、信証院蓮如師の定めおかせらるるところなり。真宗念仏行者、<span id="P--1228"></span> すでに一念帰命、信心発得せる領解の相状なり。このゆゑに古今一宗の道俗、時々仏祖前にしてこの安心を出言し、みづからの領解の謬りなきことを敬白するなり。 | [右領解出言の文は、信証院蓮如師の定めおかせらるるところなり。真宗念仏行者、<span id="P--1228"></span> すでに一念帰命、信心発得せる領解の相状なり。このゆゑに古今一宗の道俗、時々仏祖前にしてこの安心を出言し、みづからの領解の謬りなきことを敬白するなり。 | ||
− | しかるに、そのあひだ後生の一大事を[[軽忽]]し、みづからたしかに弥陀をたのみたる一念の領解もなく、またこの領解文をも[[記得]]せざる類あり。あるいは記得し出言しながら、[[ | + | しかるに、そのあひだ後生の一大事を[[軽忽]]し、みづからたしかに弥陀をたのみたる一念の領解もなく、またこの領解文をも[[記得]]せざる類あり。あるいは記得し出言しながら、[[心口各異]]にして慚愧せざるのものあり。はなはだ悲歎すべきところなり。こひねがはくは一宗の道俗、この出言のごとく、一念帰命の本源をあやまらず[[如実相応]]して、すみやかに一大事の往生を遂ぐべきものなり。 |
このゆゑにいまひめおきし蓮師(蓮如)の真蹟を模写し印刻して、家ごとに伝へ、戸ごとに授けて、永く浄土真宗一味の正意を得せしめんと思ふものなり。] | このゆゑにいまひめおきし蓮師(蓮如)の真蹟を模写し印刻して、家ごとに伝へ、戸ごとに授けて、永く浄土真宗一味の正意を得せしめんと思ふものなり。] | ||
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2005年10月13日 (木) 17:14時点における版
領解文
もろもろの雑行雑修自力のこころをふりすてて、一心に阿弥陀如来、われらが今度の一大事の後生、御たすけ候へとたのみまうして候ふ。 たのむ一念のとき、往生一定御たすけ治定と存じ、このうへの称名は、御恩報謝と存じよろこびまうし候ふ。 この御ことわり聴聞申しわけ候ふこと、御開山聖人(親鸞)御出世の御恩、次第相承の善知識のあさからざる御勧化の御恩と、ありがたく存じ候ふ。このうへは定めおかせらるる御掟、一期をかぎりまもりまうすべく候ふ。
[本願寺釈法如(花押)
教誡
[右領解出言の文は、信証院蓮如師の定めおかせらるるところなり。真宗念仏行者、 すでに一念帰命、信心発得せる領解の相状なり。このゆゑに古今一宗の道俗、時々仏祖前にしてこの安心を出言し、みづからの領解の謬りなきことを敬白するなり。 しかるに、そのあひだ後生の一大事を軽忽し、みづからたしかに弥陀をたのみたる一念の領解もなく、またこの領解文をも記得せざる類あり。あるいは記得し出言しながら、心口各異にして慚愧せざるのものあり。はなはだ悲歎すべきところなり。こひねがはくは一宗の道俗、この出言のごとく、一念帰命の本源をあやまらず如実相応して、すみやかに一大事の往生を遂ぐべきものなり。 このゆゑにいまひめおきし蓮師(蓮如)の真蹟を模写し印刻して、家ごとに伝へ、戸ごとに授けて、永く浄土真宗一味の正意を得せしめんと思ふものなり。]