じしょうしょうじょうぶっしょうのかん
衆生が本来具する仏性は、煩悩の泥中にあっても、けがれることなく本質的に清浄であると観ずること。 ここでは、自性清浄なる自己の仏性を観ずることを阿弥陀仏を観ずることとする説のこと。 (定善義 P.432)