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2015年4月9日 (木) 20:32時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版

どう/みち

Ⅰ (どう) さとりへの道。また、さとりのこと。(信巻 P.237,238,254, 化巻 P.407) 

Ⅱ (どう) 智慧のこと。(信巻 P.252) 

Ⅲ (どう) 仏果。仏のさとり。 (証巻 P.340, 浄文 P.482,讃弥陀偈 P.171要集 P.868)


Ⅳ (どう) 行の意、 (真巻 P.359)

Ⅴ (みち) 神道を指す。(御伝鈔 P.1058)

Ⅵ (どう)仏道。 (安楽集 P.279安楽集 P.283)


出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

形而上者謂之道 形而下者謂之器。 形よりして上なる者、之(これ)を道といい、形よりして下なる者、之を器といふ。(易経)

天地宇宙の間には、形のあるものと形のないものとがある。五感によってとらえられるものは形より下にあるので、といわれ、それ以上のものは、形のないもので、という。この文の形而上の語から現象を超えたもの、または現象の背後にあるもの、根源的なものを対象とする学問を「形而上学」と呼ぶようになった。

《道》という漢字は、長く通じている「みち」、ひいて、みちを行く、「みちびく」意を表わす。ここから正しいすじみち、方法、手段の意を持ち、老荘(道教)ではタオとして宇宙の根本原理をいう語として用いられた。また道には「いう(言)」という意味もあり禅の語録の表現ではよく使われる。 仏教では、この道という漢字を、梵語マールガ(目的に至らせる通路、行うべき道)の翻訳語として使用したり、梵語チャリア(行)の訳としたり、また梵語ボーディ(覚りの智慧)の音写語の菩提の意味としても使われた。このように仏教で、道という語は、①真理そのものを顕わす場合と、その②真理を悟る智慧を顕わす場合と、その③真実の智慧に至る過程を顕わす場合と、そして④歩むべき実践法というものを顕わす場合があるなど、非常に広い意味を持っているので、文脈に沿って読む必要がある。