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七箇条の御起請文

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

2012年1月18日 (水) 19:22時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版

以下は『西方指南抄』から


一。普告于予門人念仏上人等
あまねく予(わが)門人念仏上人等に告げたまわく。

可停止 未窺一句文。奉破真言止観。謗余仏菩薩事
いまだ一句の文を窺わず、真言・止観を破し、余仏・菩薩を謗じたてまつることを停止(ちょうじ)すべき。

右至立破道者、学生之所経也、非愚人之境界。
右、破するに道を立するに至ては学生の経(ふ)るところなり。愚人の境界にあらず。

加之誹謗正法免除弥陀願。其報当堕那落。豈非痴闇之至哉
しかのみならず誹謗正法、弥陀(の)願に免除せられたり。この報(しらせ)まさに那落に堕すべし、あに痴闇のいたりに非ずや。


一。可停止 以無智身対有智人 遇別行輩、好致諍論事
無智の身をもって有智の人に対(むか)い、別行の輩らに遇いて、好みて諍論をいたすこと停止すべき。

右論義者、是智者之有也、更非愚人之分。又諍論之処、諸煩悩起、智者遠離之百由句也、況於一向念仏行之人乎。
右の論義は、これ智者の有なり。さらに愚人の文には非ず。また、諍論のところには、もろもろの煩悩おこる、智者これを遠離すること百由句なり。いわんや一向念仏行の人においておや。


一。可停止 対別解別行人。以愚痴偏執心。傋当棄置本業強嫌喧之事
別解別行の人にむかいて、愚痴偏執の心をもって、まさに本業を棄置し、しいてこれを嫌喧すべしということを停止すべき。

右修道之習、只各勤敢不遮余行。西方要決云。別解別行者。総起敬心。若生軽慢。得罪無窮 云云 何背此制哉
右、修道の習、ただそれぞれ勤むるにあえて余行を遮せず。『西方要決』のいわく、別解別行者は、すべて敬心を起こせ、もし軽(驕)慢を生ぜば罪を得んこと窮まり無しと。何ぞこの制に背かんや。


一。可停止 於念仏門号無戒行、専勧婬酒食肉、適守律儀者名雑行。憑弥陀者本願者説勿恐造悪事
念仏門において戒行無しと号して、もっぱら婬・酒・食肉をすすめ、適に律儀を守るものを雑行と名づく。弥陀の本願を憑む者は、造悪を恐るることなかれということを停止すべし。

右戒、是仏法大地也。衆行雖区同専之、是以善導和尚挙目不見女人。此行状之趣過本律制、浄業之類。不順之者、総失如来之遺教。別背祖師之旧跡。旁無拠者歟
右、戒はこれ仏法の大地なり。衆行まちまちなりといえども同じくこれを専らす。これをもって善導和尚目をあげて女人を見ず。この行状のおもむき本律の制、浄業のたぐいに過ぎたり。これに順ぜずばすべて如来の遺教を忘れたり。別しては祖師の旧跡に背く。旁(かたがた)、よるところ無き者かと。


一。可停止 未弁是非痴人、離聖教非師説。恐述私義妄企諍論。被咲智者迷乱愚人事
いまだ是非をわきまえず痴人、聖教をはなれ師説にあらず、恐くは私義を述べみだりに諍論をくわだて知者に笑わる、愚人を迷乱することを停止すべし。

右無智大天、此朝再誕、猥述邪義。既同九十五種異道。尤可悲之
右、無知の大天(魔)、この朝に再誕してみだりがわしく邪義を述ぶ。すでに九十五種の異道に同じ、もっともこれを悲しむべし。


一。可停止 以痴鈍身殊好唱導。不知正法説種種邪法、教化無智道俗事
痴鈍の身をもって、ことに唱導を好み、正法を知らずして種種の邪法を説き、無知の道俗を教化することを停止すべき。

右無解作師、是梵網之制戒也。黒闇之類欲顕己才、以浄土教爲芸能、貪名利望檀越。恐成自由之妄説狂惑世間人、誑法之過殊重、是輩非国賊乎
右、解(さとり)なくして師となるは、これ『梵網』の制戒なり。黒闇のたぐい己の才をあらわさんと欲うて、浄土教をもって芸能となし、名利を貪し檀越を望む。恐らくは自由の妄説をなして世間の人を狂惑せむ。誑法のとが、ことのほか重し、この輩は国賊に非ずや。


一。可停止 自説非仏教邪法爲正法、偽号師範説事
自ら仏教にあらざる邪法を説きて正法となし、偽りて師範の説と号すことを停止すべき。

右各雖一人、説所積爲予一身。衆悪汚弥陀教文、揚師匠之悪名。不善之甚無過之者也
右、それぞれ一人なりといえども、つめるところ予(わが)一身の為なりと説く。衆悪をして弥陀の教文をけがし、師匠の悪名を揚ぐ。不善のはなはだしきこと、これにすぎたること無きものなり。


以前七箇条甄録如斯。一分学教文弟子等者、頗知旨趣、年来之間雖修念仏、随順聖教、敢不逆人心、無驚世聴。因茲于今三十箇年。無爲
もって前の七箇条甄録かくのごとし。一分の教文を学ばん弟子らは、すこぶる旨趣を知りて年来の間、念仏を修すといえども聖教に随順してあえて人心にたがわず、世にきこえを驚かすことなかれ。これによって今に三十箇年、無爲なり。

渉日月、而至近王、此十箇年以後、無智不善輩、時時到来。非啻失弥陀浄業、又汚穢釈迦遺法、何不加[火+向]誡乎。
日月をわたり、近き王に至るまでこの十箇年より以後、無智不善の輩、時時到来す。 ただ弥陀の浄業を失するのみにあらず、また釈迦の遺法を汚穢する、何ぞ[火+向](あきらかに)誡を加えざらんや。

此七箇条之内、不当之間、巨細事等多。具難註述。総如此等之無方、慎不可犯。
この七箇条のうち、不当の間、巨細の事ら多し。つぶさに註述しがたし。すべてこのごときらの無方、慎んで犯すべからず。

此上猶背制法輩者、是非予門人、魔眷属也。更不可来草菴。自今以後、各随聞及、必可被触之。
このうえなお制法に背く輩は、これ予が門人に非ず、魔の眷属なり。さらに草菴に来るべからず。 自今以後、おのおの聞きおよばむに随って、必ずこれを触れをかぶるべし。

余人勿相伴。若不然者、是同意人也。
余人あい伴うことなかれ。もししからばこれ同意の人なり。

彼過如作者、不能瞋同法恨師匠、自業自得之理、只在己心(身)而已。是故今日催四方行人、集一室告命。
かの過をなす者のごときは、同法を瞋り師匠を恨むことあたわず、自業自得のことわり、ただ己が身にあるならくのみと。このゆえに今日、四方の行人をもよおして、一室に集めて告命す。

僅雖有風聞、慥不知誰人失。拠于沙汰愁歎。遂年序、非可黙止。
わずかに風聞ありといえども、たしかに誰の人のとがと知らず、沙汰によって愁歎す。 年序をおくるも、もだし止むべきに非ず。

先随力及所迴禁遏之計也。仍録其趣示門葉等之状如件
先に力の及ぶに随うて禁遏のはかりごとをめぐらすところなり。よって趣を録して門葉等に示す状、くだんのごとし。

  元久元年十一月七日 沙門源空

信空 感聖 尊西 証空 源智 行西 聖蓮 見仏 道豆 導西 寂西 宗慶 西縁 親蓮 幸西 住蓮 西意 仏心 源蓮 蓮生 善信 行空 已上

  已上二百余人連署了