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浄土見聞集

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

2022年1月15日 (土) 11:42時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版


存覚上人が門徒の所望によって記された仮名聖教。前段は当時流布した数種の『十王経』などによって、いわゆる亡者の十段階の審判について述べ、後半では浄土真宗の教義について述べられている。
浄土真宗はでは厭離を先とすることはないから「はじめの十王讃嘆なんどはすでに厭離をさきにする義なり。當流には しかるべからざることなれども浅智愚闇のともがらを誘引せんがためにとて、願 主の所望によりてわたくしの見聞をしるしわたすなり。」とされておられる。 なお、御文章』二帖目第十一通(*)で、宿善・善知識・光明・信心・名号と「五重の義」について記されているが、蓮如さんは、この『浄土見聞集』を参照されたのであろう。 →JWP:十王#十王の基本データ

『浄土真宗聖典全書』第四巻「相伝篇上」

浄土見聞集

つたへきく、閻魔王はかゞみを塵の小罪にかけてしり、倶生神は筆をつゆの軽罪にそめてしるす。しかるにわれら恵刀やいばなし、なんぞ煩悩のつなをきらん。戒珠きずあり、いかでか生死のやみをてらさん。こゝにわれら最後のいきひとたびたえ、人間の報すでにつきて臨終にまなこさらにとぢ、よみぢ(黄泉路)にむかはんとするとき、三人の羅刹婆、冥途よりたちまちにきたりて三魂をめして秦広王の庁につく。はじめて罪門関樹[1]冥途よりたちまちにきたりて、三魂をめして秦広王[2]の庁につく。はじめて罪門関樹のもとにありて、かなしみのなんだ(涙)を中有のちまたにながす。たのみをかけし親族は、古郷[3]にないてわれをしらず、こゝろにたくみし罪業は、前後にまつはりて身をはなれず。をくれたるものはかなしみのなみだのんど[4]にむせび、さきだてるものはなやみのうれへ体に変ず。しかうしてのち、暴風ふききたりて関樹の葉をふきをとすに、ことごとくつるぎとなりて身をつらぬく。その葉こかしはのごとし。つるぎの身にたつ多少によりて業の浅深をしる。そののち死天の嶮山をこえて奈河[5]の幽岸にいたる。
二七日のとまり初江王の庁につく。すなはち脱衣鬼をめして罪人のころもをぬがしめて衣領樹にかく。えだの低昇にしたがひてつみの軽重をさだむ。もし慚愧のころもをきざれば、身の皮をはがる。くるしみしのぶべからず。
三七日には宋帝王、罪人の名をしるし、亡者のところを錄して、黄泉のきしよりゐていでゝ、奈河の津をおとし喪途河をわたす。引路[6]の牛頭[7]は鉄棒をもてみちををしへ、催行の馬頭は鉄叉をもてながれをしめす。
四七日には五官王、そらには業量のはかりをかけてつみの軽重をたゞし、地には双童のふだにまかせて業の多少をしるす。
五七日のあしたより、閻魔王のせめをかうぶる。かしらをつかみておもてを頗梨の業鏡にむかふ。つらつらむかしのわざをみるに、しかしながらつみにとがす。阿防羅刹のいきほひをみれば、猟師の鹿にあへるがごとし、牛頭・馬頭のこゑをきけば、雷電のほとばしるににたり。
六七日には変成王、功徳をまちて罪福をことはる。
七々日には太山王、福業のさだまらざることをかなしみて男女の追善をもとむ。
百箇日には平等王、枷樔をそへてさらに苦悩をます。
一周忌には都市王、罪人群集してさかんなる市のごとし。
第三年には五道転輪王、つみを千日のうちにあがうて、福を三界のほかにもとむ。青衣の倶生神をもて罪人をひきゐて、しばらく魂宿華のもとにして、しばしば古郷をみせしむ。ちぎりをむすびし男女は、とつぎをあらためてわれをわすれ、たのみをかけし子孫は、つみをつくりてとぶらはず、娑婆の妻子をうらみ自身の罪報をくゐて、黄なるなみだをたれ血のあせをながす。このとき罪業を滅せざれば、つゐに奈梨におつ。熱鉄身をこがし、寒冰くびをとぢ、融銅はらをわかし、生革かしらにまつふ、銅柱これをいだき、熱地これをふす。
しかればすなはち、寒冰熱火のそこにおちずして、華池宝閣のうてなにのぼらんこと、このときにあらずは、またいづれの生をか期せん。ひとたび人身をうしなひつれば、万劫にもかへらず。天上は楽にほこりていとはず、地獄は苦をかなしみてねがはず、餓鬼道は飢饉にせめられてもとめず、畜生道は愚痴にほだされてしらず、修羅道はまた闘諍ひまなくして菩提をもとむるによしなし。これらの生所にはかつて善知識なし、なにゝよりてか出離をわきまへん。人中にも東州・西州・北州は仏法の名字をしらず、これ善知識なきゆへなり。たまたま知識ありといふとも、仏法を信ずる宿善の機なし。いまこの南州日域は、聖徳太子仏法を弘興したまひしよりこのかた、ほかには教法流布し、うちには善友勧化して、出離生死の要法をもとめんことこのときにあたれり。

仏法万差なりといへども、浄土真宗はこれ時機相応の法なり。自力をすて他力に乗じて修行せば、「聞已即悟无生法忍」(観経)ととき、「即得往生住不退転」(大経*巻下)とのたまへり、平生業成なにをかうたがはん。この法を信ぜずはこれ无宿善のひとなり。「宿世見諸仏、即能信此事」(礼讚)とも釈し、「憍慢・弊・懈怠は、もてこの法を信ずることかたし」(大経*巻下)とときたまへり。まことにこれ、希有最勝の要法、決定往生の業因なり。おぼろげの縁にしては、たやすくきゝうべからず。もしきゝえてよろこぶこゝろあらば、これ宿善のひとなり。善知識にあひて本願相応のことはりをきくとき、一念もうたがふこゝろのなきは、これすなはち摂取の心光、行者の心中を照護してすてたまはざるゆへなり。光明は智慧なり、この光明智相より信心を開発したまふゆへに信心は仏智なり、仏智よりすゝめられたてまつりてくちに名号はとなへらるゝなり[8]。これさらに行者の心よりをこりてまふす念仏にはあらず。仏智より信心はをこり、信心より名号をとなふるなり。かるがゆへに、『教行証』(信巻意)には「願力の信心は名号を具す」とのたまへり。光明寺の和尚は、「行者の信にあらず、行者の行にあらず、行者の善にあらず」と釈したまへり。无㝵の仏智は行者の心にいり、行者の心は仏の光明におさめとられたてまつりて、行者のはからひちりばかりもあるべからず。これを『観経』には、「諸仏如来は、これ法界の身なり。一切衆生の心想のうちにいりたまふ」とはときたまへり。「諸仏如来」といふは弥陀如来なり、諸仏は弥陀の分身なるがゆへに、諸仏をば弥陀とこゝろうべしとおほせごとありき。
他力の信心を獲得するとき、よこさまに五悪趣におつべき業因を、きりとゞめられたてまつり、悪道のかどながくとぢて、自然にすなはちのとき正定聚にさだまる。正定聚といふは不退のくらゐなり、不退といふはながく二十五有にかへらざるなり。されば善智識にあひたてまつり、法をきゝて領解するとき、往生はさだまるなり。そのゝち名号のとなへらるゝは、大悲弘誓の恩を報じたてまつるなり。それも行者のかたよりとなへて仏恩を報ずるにはあらず。他力の信よりもよほされたてまつりてとなふれば、をのづから仏恩報謝となるなり。信も行もかつて行者の所作ならず、但他力といへり。すでに摂取の心光におさめとられたてまつり、ながくすてられたてまつらぬ御ちかひにあひたてまつること、これ善知識の恩徳なり。まことに報じてもつきがたし。もしこの縁なくは、つゐに三途にかへり、多百千劫をふるとも仏法の名字をきかざらまし。
また知識たらんひとは信不信をわかず、この道理をひとにしめすべし。そのゆへは、信ずるひとはすなはち往生さだまりて永劫の楽果を証し、信ぜざれども、ひとたびもきゝぬれば遠生の縁となりて、つゐにこのひとにむまれあひて、かさねてこの法をきゝて生死を度すべし。この他力の法門は万行諸善の肝心、真如法性の極理なるがゆへに、ひとたびもみゝにふれぬれば、かつてむなしからざるなり。われはよくこゝろえたりとおもふとも、なをも知識にちかづきて、たづねとひたてまつるべし。きけばいよいよかたく、あふげばいよいよたかし。よくよくたづねまふさるべし。よくよくわきまへて、こたへをしへたまふべし。きくことのかたきにはあらず、よくきくことのかたきなり。信ずることのかたきにはあらず、をしふることのかたきなり。「易往无人」(大経*巻下)とときたまへるは、ゆきやすくしてひとなしといふこゝろなり。ひとなしといふは、よくをしふるひともなく、よくきくひともなきなり。他力仏智の至極はいかばかりとしりてか、これまでとおもひて、善友知識にもちかづかざるべきや。楞厳の『要集』(巻上)には「これを座の右にをきて、廃忘にそなへよ」といひ、龍樹の解釈には、「善友のをしへなければ、愚痴のやみいでがたし」とのたまへり。文にあきらかならんひとは、つねに聖教にむかひて義理を案じ、文にくらからんものは、善友知識にあひたてまつりて、わがしれるところをたづぬべし。日ごろしるところなりといへども、きけばまた得分のあるなり。
『経』(大経 巻下)に「聞名欲往生」ととき、「聞其名号」とものたまへるは、「聞」といふは、きくとよむ、きくといふは、たゞなをざりに名号をきくにはあらず、「本願の生起本末をきゝて疑心あることなし、かるがゆへに聞といふ」(信巻意)とのたまへり。きゝてうたがはざるを聞といふ。たとひ八万法蔵・十二部経をきくとも、疑心あらば聞にあらず。聞よりをこる信心、思よりをこる信心といふは、きゝてうたがはず、たもちてうしなはざるをいふ。思といふは信なり、きくも他力よりきゝ、おもひさだむるも願力によりてさだまるあひだ、ともに自力のはからひのちりばかりもよりつかざるなり。これを自然といふ、自はをのづからといふ、然はしからしむといふ。法爾法然として、他力の御はからひによりて往生さだまるをいふなり。往生のさだまるしるしには慶喜の心をこるなり、慶喜心のをこるしるしには報恩謝徳のおもひあり。こゝをもて、龍樹の偈にいはく、「恩をしるはこれ大悲の本なり、恩をしらざるをば畜生となづく」(大智度論巻四 九釈発趣品意)とのたまへり。もし恩を報ずるこゝろなくは、畜生に類する義あきらかなり。畜生に類せばなんぞ他力の信をうるひとならんや。よくよくこゝろのうちをかへりみて、慶喜報恩のこゝろあらば、往生すでにさだまりぬとしるべし。しからずは往生不定なり。これ行者の用心なり、よくよくわきまふべし。
おほよすこのふみ、はじめは『十輪経』・『十王経』等のこゝろをとりてこれを鈔す、をはりは『教行証』等の文類を見聞するゆへに、「浄土見聞集」と題す。さらにわたくしなしといへども、これ自見のためにして弘通のためにあらず。文言つたなしといへども、愚者のみやすからんことを要す。そもそも楞厳の先徳の『要集』・禅林の永観の『十因』等は、「厭離穢土」「欣求浄土」とかゝれたり。鸞聖人の御相伝には、欣求をさきにし、厭離をのちにせよとのたまへり。そのゆへは、まづ穢土をいとへとすゝむとも、凡夫はいとふこゝろあるべからず。これをいとはせんとすゝめんいとまに、まづ欣求浄土のゆへをきかせぬれば、をしへざれども信心を獲得しぬれば、穢土はいとはるゝなりとおほせありけり[9]。されば『教行証』・『浄土文類聚鈔』・『愚禿鈔』等の御作にも、また『浄土和讚』・『正像末法和讚』等にも、かつて穢土をいとへとも、无常を観ぜよとも、あそばされたる一文なし。つらつらこのことを案ずるに、まことに信心ひとたび発起せしめたまひぬれば、をしへざれども穢土はいとひぬべし。またたとひいとふこゝろかつてなくとも、信をえば往生うたがひなし。一言なりとも、他力発起の法門もとも大切なり。はじめの十王讚嘆なんどはすでに厭離をさきにする義なり。当流にはしかるべからざることなれども、浅智愚闇のものを誘引のためにとて、願主の所望黙止がたきによりて、わたくしの見聞をしるしわたすなり。ゆめゆめ外見あるべからず。あなかしこ、あなかしこ。


  1. 罪門関樹(ざいもんのかんじゅ)。地獄にあるという樹でこの樹の上には無常という鳥と、抜目という鳥が居るという。
  2. 秦広王(しんこうおう)。十王の最初で初七日に審判にあう王。不動明王に当てる。JWP:十王#十王の一覧
  3. 古郷(こきょう)。ここでは過去世に自分が存在していた世界をいふ。
  4. のんど。喉(のど)。の(飲)みと(門)の変化した語。嗚咽して涙にむせぶこと。
  5. 奈河(ないか)。この世とあの世の境を流れている川。→JDS:三途の川
  6. 引路(いんろ)。先に立って道案内する意。
  7. 牛頭馬頭(ごず・めず)。仏教において地獄にいるとされる亡者達を責め苛む獄卒で、牛の頭に体は人身の姿をした牛頭と、馬の頭に体は人身の姿をした馬頭をいう。by Wikipedia
  8. 『御文章』二帖目第十一通、五重の義の出拠か。宿善・善知識・光明・信心・名号と順番まで等しく出されている。
  9. 浄土真宗では欣求を先とし聖道門では厭離を先とする。
    愚禿鈔 (下)には、
    一には厭離真実なり。
    聖道門        難行道
    竪出         自力
    竪出とは難行道の教なり、厭離をもつて本とす、自力の心なるがゆゑなり。
    二には欣求真実なり。
    浄土門        易行道
    横出         他力
    横出とは易行道の教なり、欣求をもつて本とす、なにをもつてのゆゑに、願力によりて生死を厭捨せしむるがゆゑなりと。
    とある。