操作

玄奘

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

2010年5月19日 (水) 20:47時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)

げんじょう

 (600または602-664) 唐(とう)代の訳経僧。 陳留(ちんりゅう) (現在の河南(かなん)省緱(こう)氏(し)) の出身で、俗姓は陳氏。 十三歳の時出家し、『倶(く)舎論(しゃろん)』『摂大乗(しょうだいじょう)論(ろん)』等を学ぶが、疑義を原典によって解決しようとして、インド留学を決意し、貞観元年 (627、一説に貞観三年)、長安を発(た)って密出国した。 インドではナーランダ寺のシーラバドラ (Śīlabhadra 戒賢(かいけん)) 等に学び、数多くの原典を携えて、貞観十九年 (645) 帰国し、示寂までに七十五部千三百三十五巻もの経論を翻訳した。 後世、法相(ほっそう)宗、倶(く)舎(しゃ)宗の祖とされる。 また弁(べん)機(き)の助力を得て著した 『大唐(だいとう)西域(せいいき)記(き)』十二巻は、インド・中央アジアの地誌として有名である。

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。