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といへり

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

2014年1月20日 (月) 19:16時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版

 以上の文は『存覚法語』に引く後鳥羽上皇の『無常講式』からの引用であるため「といへり」という。(御文章 P.1203)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

「世をこぞって蜉蝣の如し。朝に死し、夕べに死し、別れるものの幾許ぞや。或いは、昨日已に埋みて、墓の下に涙を拭う者、或いは今夜に送らんと欲して、棺前に別れを泣く人。およそはかなきものは人の始中終、幻の如くなる一期の過ぎる程なり。三界無常なり。古より未だ万歳の人身あることを聞かず。一生過ぎやすし。今にいたって、たれか百年の形態を保つべきや。実に我や前、人や前、今日とも知らず、明日とも知らず、後れ先だつ人、本の滴、末の露よりも繁し。原野を指して、独り逝地と為す。墳墓を築き、永く栖み家と為す。焼きて灰となり、埋みて土となる。人の成りゆく終わりのすがたなり。」

『存覚法語』、『聖教全書三』歴代部P360


『後鳥羽天皇御作無常講式』の第二段

擧世如浮蝣。于朝死于夕死別者幾許哉。

世こぞって蜉蝣の如し。朝に死し、夕べに死して別れるものの幾許ぞや。

或昨日已埋*(木+禁)涙於墓下之者。

或いは、昨日已に埋みて、墓の下に涙を拭う者あり、

或今夜欲送泣別棺前之人。凡無墓者人始中終、如幻者一朝過程也。

或いは今夜に送らんと欲して、棺の前に別れを泣く人もあり。およそはかなきものは人の始中終、幻の如くなる一朝の過ぐる程なり。

三界無常也。自古未聞有萬歳人身。一生易過。在今誰保百年形體。

三界無常なり。古よりいまだ萬歳の人身あることいふことを聞かず、 一生過ぎやすし。今に在て誰か百年の形體を保たん。

實我前人前。不知今日不知明日。後先人繁本滴末露。

實(まこと)に、我はさき人やさき、今日も知らず明日とも知らず。おくれ先だつ人、本の滴、末の露よりも繁し。

指厚野爲獨逝地築墳墓、爲永栖家。燒爲灰埋爲土。人成之終之資也。

厚野を指して獨り逝地と築墳墓をなし永く栖家となす。燒けば灰となり埋めて土となる。人の成りゆく終りの資(すがた)なり。

嗚呼。撫雲鬢戲花間朝。百媚雖難別、先露命、臥蓬下。夕九相皆可捨爛一兩日過者悉傍眼。

ああ、雲鬢を撫でて花の間に戲ふるは、朝(あし)た百媚と別れ難しといえども、露の命を先立ちて蓬の下に臥す。夕に九相皆な捨つべし、爛れて一兩日を過ぐる者悉く眼を傍(そは)む。

臭三五里行人皆塞鼻。便利二道中白蠕蠢出。手足四支上青蠅飛集。

臭くして三五里を行く人、皆な鼻を塞ぐ。便利二道の中より白き蠕(むし)蠢き出で、手足四支の上より青蠅飛び集まる。

虎狼野干馳四方、置十二節於所々。鵄梟*(馬+周) 鷲啄五藏、投五尺腸於色々。肉落皮剥但生髑髏、日曝雨洗、終朽成土。雲鬢何収。

虎狼・野干は四方に馳せて、十二節を所々に置きて鵄梟*(馬+周)・鷲啄は五藏を啄(くら)ひて、五尺の腸(はらわた)を色々に投ぐ。肉は落ち皮は剥げ、ただ生(なま)しき髑髏、日に曝し雨に洗はる。終に朽ちて土と成んぬ、雲鬢何(いずく)にか収まる。

華貌何壞。眼秋草生。首春苔繁。白樂天云、「故墓何世人。不知姓與名。和爲道頭土。年々春草生云云。」

華の貌(かんばせ)何(いずく)か壞るる。眼には秋草の生(お)ひ、首には春苔の繁し。白樂天の云く、「故墓、何れの世の人ぞ、姓と名を知らず、和して道の頭(ほとり)の土となして、年々に春の草生ふと」云云。

西施顔色今何在。春風百草頭云云。

西施の顔色、今や何(いず)くに在る。春の風、百草の頭(ほとり)と有るべしと、云云。

再生汝今過壯位。死衰將近閻魔王。欲往先路、無資糧。求住中間、無所止。

再び生れて、汝じ今、壯(さかり)なる位を過ぎたり。死し衰ろえて將に閻魔王に近ずかんと、先路に往かんと欲するに資糧なく、中間に住(とど)むを求むるに所止なし。

一切有爲法如夢幻泡影。如露亦如電。應作如是觀。

一切の有爲の法は夢幻(ゆめまぼろし)の泡の影の如し。露の如く電(いなびかり)の如し、かくの如しの觀をなすべし。


南無阿彌陀佛

「後鳥羽天皇御作無常講式」第二段。

参照:
仁和寺蔵後鳥羽天皇御作無常講式影印・翻刻並びに解説