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門余

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

2016年1月16日 (土) 12:05時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版

 通常、八万四千の法門といえば釈尊の説かれた全仏教を指す。八万四千という数は八万四千種の衆生それぞれに対して、応病与薬(病に応じて薬を与える)に法を説かれたからとされる。(*)
ところが御開山は不思議な言い方をされる。例えば『一念多念文意』で、

おほよそ八万四千の法門は、みなこれ浄土の方便の善なり。これを要門といふ、これを仮門となづけたり。」p690

と、八万四千の法門を仮門とされるのである。このように言えるのは、

『観経疏』玄義分の、

「依心起於勝行 門余八万四千(心によりて勝行を起すに、門八万四千に余れり。)p300

の、「門八万四千」の《余》をどのように理解するかという法然門下の高弟達による深い考察があったからである。

さて、この、「門余八万四千」を幸西大徳は『玄義分抄』で以下のように釈されていた。

「門余八万四千」トイハ一乗ヲ加テ余トス。法華経の宝塔品、此ノ経ノ下品上生等ノ文ニ依ルナルヘシ」

この釈意を梯實圓和上の幸西大徳述『玄義分抄講述』から窺ってみる。

{引用}
「門余八万四千トイハ一乗ヲ加テ余トス」というのは、門余と八万四千とを分け、八万四千を聖道門とし、余を凡頓一乗とするのである。これは『法華経』見宝塔品第十一(大正蔵九・三四頁)に、

「若し八万四千の法蔵、十二部経を持ちて人の為に演説し、諸の聴者をして六神通を得しめん。よくかくの如くすと雖もまた難と為さず。我が滅後に於て此の経を聴受し、その義趣を問はば即ちこれを難とす」

というものをさすのであろう。ここで八万四千の法蔵、十二部経の法門と、『法華経』を対照し、前者よりも後者の方が難であるということをもって、爾前三乗の法門に対して、法華一乗の法門の尊高を顕わしているからである。
また『観経』下品上生の文というのは、下上品の機がはじめに大乗十二部経の首題名字を聞いたが、千劫の罪しか除くことができなかったのを、善知識が教えを転じて阿弥陀仏の名を称せしめたとき、五十億劫の生死の罪を除いて往生を得ることが出来た(*)。そして来迎の化仏は聞経の事を讃ぜず、ただ称仏の功のみを讃歎されたことをさしていた。このように聞経の善と本願の行である称名とを対比して、称名の超勝性を釈顕されている。この下上品の経意を「見宝塔品」と対照すれば、十二部経とは八万四千の法門のことであり、称名とは凡頓一乗の法門ということになる。
こうして幸西は、諸経に説かれた八万四千の法門は調機誘引の方便の法門であり、その行体は定散であるとし、『大経』に説かれた別意弘願の法門だけが究竟の真門であって、それを門余の一乗とよび、凡頓一乗とするというのである。それにしてもこの門余の釈が、親鸞の「化身土文類」要門釈(三九四頁)に「門余といふは、「門」はすなはち八万四千の仮門なり、「余」はすなはち本願一乗海なり」といわれた門余の釈と全く同じであったことがわかる。
{引用終}

文の当面では「門余八万四千」の《余》は、有り余るという意の有余であるが、八万四千の法門の外に別の法門がある──外余(外に余っている)──ことを表す言葉として解釈したのであろう。法然聖人は『選択集』で「玄義分」の「この経は観仏三昧を宗となし、または念仏三昧を宗となす」の文を、『観経』は観仏三昧と念仏三昧を説く経であるとされ、一経に二宗を見られた釈風と通ずるものがある。なお御開山は、この「念観両宗」を「化巻」p.384で引文されておられる。

後年、日渓法霖師が、

今宗の学者、 大蔵中の三部を学ぶなかれ、 須く三部中の大蔵を学ぶべし。 三部は根本なり。 大蔵は枝末なり。 今の人、 三部を以て小となし、 大蔵を大となす、 謬れるというべし。 「日渓法霖」

といい、浄土三部経を根本とし、八万大蔵経を枝末であるとされたのも、このような意を顕わそうとされたのであろう。