自然法爾
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
じねんほうに
親鸞聖人は、救済は人間のはからいによって成立することではなくて、本願力の自ずからなるはからいによって往生成仏せしめられることを自然といい、本願の法則としてそのようにあらしめられることを法爾といい、自然と法爾を同義語とされた。
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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然は、呉音ではネン、漢音ではゼンと読む。仏教語では呉音で読むので自然(じねん)と発音する。
御開山の著述には自然法爾という四字熟語はない。表題の『自然法爾章』は後に弟子によって付加されたものといわれる。元来「自然法爾」というような表現は、仏教においては、縁起(因果)を否定した自然外道を指す語であるから御開山が『自然法爾章』と表題するはずがないとされる。
御開山は、自然=法爾=本願力=阿弥陀仏の絶対他力、であるとみられて、自然と法爾は同じ意味であり、人間のはからい(作為、意図)を超えた本願の必然のはたらきを示す語とされたのであろう。 →自然 →必然 →他力