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トーク

蟪蛄

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

2017年6月3日 (土) 17:33時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版

 この世界の北の果て、波も冥(くら)い海に魚がいて、その名は鯤という。その鯤の大きさは、いったい何千里あるのか見当もつかないほどの、とてつもない大きさだ。

 この巨大な鯤が(時節が到来し)転身の時を迎えると、姿を変えて鳥となる。その名は鵬という。その背(せな)の広さは幾千里あるのか見当もつかない。

 この鵬という巨大な鳥が、一たび満身の力を奮って大空に飛びたてば、その翼の大きいこと、まるで青空を掩(おお)う雲のようだ。

 この鳥は、(季節風が吹き)海の荒れ狂うときになると、(その大風に乗って飛び上がり)、南の果ての海へと天翔(あまがけ)る。「南の果ての海」とは天の池である。

 齊諧(セイカイ)という人は世の中の不思議な話をしっている物識りだが、彼の話によると、「鵬が南の果ての海に移る時には、水に撃(う)つこと三千里、つむじかぜに羽ばたいて上ること九万里、六月の風に乗って天がけり去る(飛び去る)のだ」という。

 かげろうか、塵埃(ジンアイ)か、生きとし生けるもののひしめきあって呼吸するこの地上の世界。

 その遙か上に広がる大空の深く青々とした色は、いったい大空そのものの色であろうか。それとも遠くへだたって限りがないから、そう見えるのであろうか。

 鵬が九万里の高みから逆に地上の世界を見下ろすとき、やはりこのように青々と見えているに違いない。


 そもそも水のたまりかたが十分深くなければ、そこに大きな舟を浮かべるのには堪えられない。杯の水をでこぼこのある床(ゆか)の上にくつがえすと、せいぜい塵芥(ちりあくた)ならそのたまり水の舟ともなろうが、そこに杯を置くと底が床についてしまう。たまり水は浅いのに舟は大きいからである。

 風の集まりかたがじゅうぶん多くなければ、そこに鵬の大きな翼をのせるのには堪えられない。そこで九万里も上ってこそ翼の下にじゅうぶんな風が集まるのである。さて、そのうえではじめて、今こそ大鵬は風に乗り青々とした大空を背負って何物にもさえぎられず、そのうえではじめて、今こそ南の海を目ざそうとするのである。


 蜩(ひぐらし)と学鳩(こばと)とがそれをせせら笑っていう、「我々はふるいたって飛び上がり、楡(にれ)や枋(まゆみ)の木につきかかってそこに止まるが、それさえゆきつけない時もあって地面にたたきつけられてしまうのだ。どうして九万里もの上空に上ってそれから南方を目指したりするのだろう。(おおげさで無用なことだ)」と。

 郊外の野原に出かける者(ひと)は、三食の弁当だけで帰ってきて、それでまだ満腹でいられるが、百里の旅に出る者(ひと)は、一晩かかって食糧の米をつき、千里の旅に出る者は、三か月もかかって食糧を集めて準備をする。 この小さな蜩や学鳩には(大鵬の飛翔のことなど)いったいどうして分ろうか。狭小な知識では広大な知識は想像もつかず、短い寿命では長い寿命のは及びもつかない。

 どうしてそのことが分かるか。朝菌は(朝から暮れまでの命で)夜と明け方を知らず、蟪蛄(夏ぜみ)は(夏だけの命で)、春と秋を知らない。これが短い寿命である。

楚の国の南方には冥霊という木があって、五百年のあいだが生長繁茂する春で、また五百年のあいだが落葉の秋である。大昔には大椿という木があって、八千年のあいだが生長繁茂の春で、また八千年のあいだが落葉の秋であった。(これが長い寿命である)  ところが、彭祖は(わずかに八百年を生きたというだけで)長寿者として大いに有名であり、世間の人々は(長寿を語れば必ず)彭祖をひきあいに出す。何と悲しいことではないか。