念
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
ねん
心に保持して忘れないこと。 (安楽集 P.260)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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- 念(ねん)
心と、音符 今(とどめておく意→含(カン)から成る、心にかたくとめておく意をあらわす)から成る形声文字で、おぼえる、おもふの意。心の中にじっと思っていて、思いが離れないということ。
① (梵)のスムリティ(smṛti)の訳で、憶、憶念とも訳す。心所(心のはたらき)の名。かつて経験したことを明らかに記憶して忘れないこと(明記不忘の義)。倶舎宗では十大地法の一とし、唯識宗では五別境の一とする。勝れた力をもっているから五根、五力の一の数えて、念根、念力ともいう。念の反対を失念という。
また単に「思い」「想い」の意味に「念」の語を用いる。
{中略}
浄土教でいう十念については異説があり、或いは仏のすがたを念じ、または称名念仏するのに多想をまじえないでおもいをこらして一〇の憶念を続けることとし、或いは十声の称名念仏を指すとする。後の説は善導の主張する説で、源空や親鸞が受けついだもの。特に浄土教ではこれを強調する。 →十念
③ また極めて短い時間を念と称することがあり、一刹那或いは六〇刹那或いは九〇刹那などを一念とする。 →十念