最要鈔
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
覚如上人(1270-1351)が康永二年(1343)に次男である従覚に口述筆記させ、道源に与えた書。 元弘元年(1331)に著された『口伝鈔』の「体失・不体失の往生の事」を往生の名目を使わずに、身命終、心命終として心命終は迷情の自力心の終りであり「住正定聚のくらいにもさだまれば、これを即得往生といふべし」と即得往生は正定聚であることに言及されている。 第十八願と本願成就文を引き、本願成就文の「聞」で示される信心は回向された仏心である信心であるとする。また第十一願を引き、回向された信を受容する者は正定聚であるから必ず滅度に至るのであり、成就文の「即得往生」は、摂取不捨のゆえに信一念の時に自力の心命が尽きて、往生は治定すると説く。『愚禿鈔』の「本願を信受するは、前念命終なり」、「即得往生は、後念即生なり」の文によって、命終には心往生と身往生の二種があるとされた。いわゆる臨終を待つまでもなく、平生に他力の信心をえたそのときに浄土に生れることが確定する、平生業成の宗義を顕彰しておられる。
- 最要鈔
「大無量寿経」(巻上)言、
設我得仏・十方衆生・至心信楽・欲生我国・乃至十念・若不生者・不取正覚・唯除五逆・誹謗正法。
同願成就文「経」(大経巻下)言
諸有衆生・聞其名号・信心歓喜・乃至一念・至心廻向・願生彼国・即得往生・住不退転・唯除五逆・誹謗正法。
この願成就の文に「信心歓喜乃至一念」[1] とらのたまへり。この信心をば、まことのこゝろとよむうえは、凡夫の迷心にあらず、またくの仏心なり。この仏心を凡夫にさづけたまふとき、信心といはるゝなり。凡夫のまことのこゝろとおぼしきは、一念おこすににたれども、またくすゑとほらず。
しかれば光明寺の御釋(序文義)にも「たとひ清心をおこすといへども、水に画がけるがごとし」(*) とみえたり。やぶれやすきこといふにおよばず。往生ほどの一大事をやぶれやすき凡情をもて治定すべきにあらず。
しかれば御釋(玄義文)「共発金剛志・横超断四流・願入弥陀界海・帰依合掌禮」[2]とらのたまへり。金剛のこゝろざしをおこすといふは、いまの願成就の信心歓喜の心なり。わがかしこくて信ずる心にあらず。
聞其名号という聞は、善知識にあふて如来の他力をもて往生治定する道理をきゝさだむる聞なり。おなじ「経」(大経巻下)に「其仏本願力・聞名欲往生」[3] ともみえたり。またこの「経」の流通にも「其有得聞・彼仏名号」[4] とらあり。
宗師の御釋にも「弥陀智願海・深広無涯底・聞名欲往生・皆悉到彼国」
[5]
とらいへり。
また祖師鸞聖人の御釋にも「本願の生起本末をきくべし」[6]とみえたり。経釋すでに聞をもて詮要とせられたり。よくきくところにて往生の心行獲得する條 顕然なり。しるべし。
また「教行信証」に曰。憶念弥陀仏本願・自然即時入必定・唯能常称如来号・応報大悲弘誓恩。[7]
この文のこゝろは、弥陀仏の本願を憶念するとき、たちどころに必定にいるとみえたり。必定といふは、すなわち四十八願の中の第十一の必至滅度の願なり。[8] 自然といふは如来の本願力をもて往生を治定せらるゝこゝろなり。来迎をたのまず臨終を期せざる義あきらけし。
しかれば経釋ともに本願の生起本末をきゝうる時分にあたりて、往生を得証する條文にありてあきらけし。ひとみなおもへらく、果縛の穢体やぶるゝときならでは往生の行業成ずべからずと。
しかるにその條 僻案なり。そのゆえは善悪の二報しからず。
まづ性相のさだむるところの悪業を平生のとき造作する時分に三悪必堕の業因最後終焉にさきだちて治定するにあらずや。造悪につきて生処臨終にあらずといへども治定する義必然ならば、善悪は相対の法なれば、善業もまたあひはかるべからず。
これによりて往生の心行を獲得すれば、終焉にさきだちて即得往生の義あるべし。仮令(たとひ)身心のふたつに付て命終の道理あひわかるべきか。無始よりこのかた生死に輪廻して出離を悕求しならひたる迷情の自力心、本願の道理をきくところにて謙敬すれば心命つくるときにてあらざるや。そのとき摂取不捨の益にもあづかり、住正定聚のくらいにもさだまれば、これを即得往生といふべし。[9] 善悪の生処をさだむることは心命つくるときなり、身命のときにあらず。
しかれば臨終を期すべからざる道理文証あきらけし。信心歓喜乃至一念のとき即得往生の義治定ののちの称名は仏恩報謝のためなり。さらに機のかたより往生の正行とつのるべきにあらず。「応報大悲弘誓恩」と釋したまへるにてこゝろうべし。大概これをもて思釋すべきなり。
康永二歳{癸未}四月廿六日 大谷殿御法門也 為目良 寂圓坊道源 於御病中 従覚右筆記之
干時康正三 乙丑 二月廿日書之
右筆蓮如{四十三歳}
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/820754
- ↑ 信心歓喜せんこと、乃至一念せん。(大経 P.41)
- ↑ 「ともに金剛の志を発して、横に四流を超断すべし。弥陀界に入らんと願じて、帰依し合掌し礼したてまつれ。」 (玄義分 P.297)
- ↑ 「その仏の本願力、名を聞きて往生せんと欲へ」(大経 P.46)
- ↑ 「それかの仏の名号を聞くことを得て」(大経 P.81) この一段は、なんまんだぶの行の一念を顕すのであるが覚如上人は一念の語をすべて信の一念としてみている。
- ↑ 弥陀の智願海は、深広にして涯底なし。名を聞きて往生せんと欲すれば、みなことごとくかの国に到る。(往生礼讃 P.671)
- ↑ →仏願の生起本末をいふ。
- ↑ 弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即のとき必定に入る。ただよくつねに如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといへり。(行巻 P.205)
- ↑ 第十一願文「たとひわれ仏を得たらんに、国中の人・天、定聚に住し、かならず滅度に至らずは、正覚を取らじ」。御開山は「証文類」でこの第十一願を挙げ正定聚を示す願とされている。(証巻 P.307)
- ↑ ここでは本願成就文の即得往生を正定聚に就き定まることであると言われている。これは『愚禿鈔』の「本願を信受するは、前念命終なり」(愚禿上 P.509)以下の釈を享けておられる。この意を約一年後の『口伝鈔』では「体失不体失の往生の事」としてあらわされたのであろうが、不体失往生という表現は語義からの逸脱のようにも思える。→前念命終 →体失不体失の往生の事