唯識法身の観
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唯識法身の観
阿頼耶識を離れて諸法はないというのが唯識説であり、阿弥陀弥陀の法身も自己の阿頼耶識を離れて他に存しないと観ずることをいう。大谷派の学僧である曽我量深師は一時、法蔵菩薩阿頼耶識説をとなえたが、
- あるいは行者ありて、この一門の義をもつて唯識法身の観となし、あるいは自性清浄仏性の観となすは、その意はなはだ錯れり。 絶えて少分もあひ似たることなし。(定善義 P.432)
という善導大師の意に背いた立論であるといえるであろう。
曽我師は、阿頼耶識の阿頼耶は「蔵」ということであると解し、それを法蔵菩薩の「蔵」と同値したのであった。しかしサンスクリット(梵語)では阿頼耶は ālaya であり法蔵菩薩の蔵は ākara であってそもそも異なる概念であることをよく検証しなかった為に、心に浮かんだ発想を公言して当時の仏教学者から批判をあびた。曽我師は、近代教学の罠に嵌り自覚としての信心を強調したいあまり自己の内なる信を阿頼耶識とせられたのであろうが、行も信も本願力回向という御開山の教説からの逸脱であろうとさえ思えるのであった。
権威に盲従することが習い性になっている大谷派の坊主は、曽我師の法蔵菩薩-阿頼耶識説にもとずく説教をしていたものである。田舎の婆さまが自分の胸を抑え叩きながら(bhakti)、ここが法蔵菩薩さまの修行の場所じゃと「自性唯心に沈みて浄土の真証を貶す」(信巻 P.209) る、自覚偏重の門徒を生みだしたものであった。